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2018年8月16日のブックマーク (4件)

  • ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白(平井 美帆) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

    敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。 そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。現地の暴民による襲撃、ソ連兵による強姦や略奪から集団を守り、料を分け与えてもらう代わりに、ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを「性接待役」として差し出したのだ。 犠牲となった「彼女たち」は、日への引き揚げ後もこの忌まわしい記憶をずっと胸の内にとどめていたが、70年が経ち、その重い口を開いた――。ノンフィクション作家・平井美帆氏の特別寄稿。 託された詩 忘れられない詩がある。後半のカタストロフィーと対比を成すかのように、詩は明るい朗らかな一節からはじまる。 ≪十六才の 春の日に 乙女の夢を 乗せた汽車 胸弾ませて 行く大地 陶頼昭に 花と咲く≫ 「乙女の碑」と題された詩を書

    ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白(平井 美帆) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
  • 開拓団の「性接待」告白 「なかったことにできない」:朝日新聞デジタル

    岐阜県の旧黒川村など(現・白川町)から戦時中に旧満州(中国東北部)へ入植した満蒙開拓団の女性たちが、敗戦直後に団幹部の指示で旧ソ連兵に「性接待」をさせられたと告白し、衝撃を与えている。長く伏せられてきたが、「なかったことにできない」と公の場で語るようになった。過酷な歴史の語り継ぎを支えるのは、女性の妹や息子たちだ。 「『(夫が)兵隊に行かれた奥さんたちには、頼めん。あんたら娘が犠牲になってくれ』と言われた」 今月10日、岐阜市民会館であった証言集会。元黒川開拓団員で、終戦当時20歳だった佐藤ハルエさん(93)=岐阜県郡上市=が話し始めると、空気はピンと張り詰めた。 「白川町誌」などによると、黒川開拓団は1941年以降、600余人が吉林省陶頼昭に入植した。敗戦後、旧日軍に置き去りにされ、現地住民らによる襲撃や略奪を受け、隣の開拓団は集団自決した。 当事者の証言によると、黒川開拓団は幹部が近

    開拓団の「性接待」告白 「なかったことにできない」:朝日新聞デジタル
  • TBSラジオ ときめくときを。

    ラジオ放送局「TBSラジオ」のサイト。TBSラジオの周波数は[AM954kHz/FM90.5MHz]。PCやスマートフォンではradiko(ラジコ)でもお聴きになれます。全国のラジオ34局ネットワークJRN(JapanRadioNetwork)のキーステーション。記事や番組内容、オンエア楽曲、最新イベント・グッズ情報などのコンテンツを毎日更新中!!

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  • 日本人は本当に「ウォーギルトプログラム」でGHQに洗脳されたのか(賀茂 道子) @gendai_biz

    太平洋戦争終結後、日を占領した連合国とGHQは、「ウォー・ギルト・プログラム」という「洗脳政策」をとり、日人に罪の意識を植えつけた――そんな俗説がいまも根強く残っている。この見方は、はたして正しいのだろうか? 膨大な資料にもとづき、従来の説に一石を投じる『ウォー・ギルト・プログラム』を上梓した賀茂道子氏が、あの戦争で日が犯した「罪」の実像を解き明かす。 日が「無条件降伏」を突きつけられた理由 今年も8月15日がやってきた。今から73年前のこの日、国民の多くが、天皇の玉音放送によって敗戦の事実を知った。それ以来、8月15日は終戦記念日として日人の心に深く刻み込まれている。 しかし、実は、国際法上の日の敗戦の日は、降伏文書に署名した9月2日であり、また、ポツダム宣言を受諾したのは8月14日である。こうした事実は意外と知られていない。 日の終戦にまつわる話でもう一つ誤解されているの

    日本人は本当に「ウォーギルトプログラム」でGHQに洗脳されたのか(賀茂 道子) @gendai_biz
    mekurayanagi
    mekurayanagi 2018/08/16
    “また日本人は今でも、上から命じられて行った行為に対しては、たとえそれが罪であろうと、寛容である。”