小説を読む際の着眼をどのように置くか。そのパターンを多く持っているほど、たくさんの「武器」に習熟した人だと言えるでしょう。 豊穣な解釈のポテンシャルを秘めた作品であっても、対応する「武器」の用意が読む側になければ、「つまらない」か「分からない」くらいの感想しか出てきません。ある種の作品に対して恐ろしく深遠な読みのできる人が、別種の作品に対しては驚くほど浅薄な紋切り型の解釈しかできない、という例が少なからず見受けられるのは、その人が操れる「武器」の種類に偏りがあるからだと思います。 「武器」の扱い方は自分で編み出すこともできるし、他人の話を聞いていくことで習得することもできます。自分の持てる「武器」をいくつも組み合わせ、状況に応じたふさわしい「読み」をひとつひとつの作品に対してカスタマイズできるようになること。理想的な「読者像」*1のひとつとして、そんな姿がイメージできます。 そういう「武器