意味の薄さ、というものに気づくようになったようだ。文章を書いているとき、この日記や、ツイッターの発言や、秘密のノートや、とにかく自分で内容を考えて自分で書く、というものを書いているとき。おや、ここは意味が薄いぞ、と思ったりする。 端的に言って意味の厚いものとは文章の中核となるアイデア、意味の薄いものとはそれに付随する説明だ。文章を書こう、何かを言葉にしようと思うときには、それを言葉で表明したい中核的なアイデアがある。ある新しい考えを考えついて、新しい何事かを発見して、それを言葉にしたいと思うようになる。 でも僕などは、アイデアを思いついた背景も書きたいし、アイデアを支える根拠も示しておきたいし、なんなら反対意見に対するあらかじめの弁解だって用意する気だってある。そういうものが無駄だとは思わない。だって答えを示すのと、その答えにたどり着く道筋を示すのと、どっちが親切かっていったら後者だろ。だ