ブックマーク / snyd.hatenadiary.org (10)

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    ギャンブラーの誤謬。あれは約分するからダメなんだろうなあっとふと思う。 コインが3連続で表。そろそろ裏が出るんちゃうか?ってのは、コインの裏表が1/2だと思うからそう考えるのであって、50/100と考えればいやまだ表が出るんちゃうか?って思うし、50万/100万と考えれば3回連続で表が出たところでべつにどうってことないやん、なんら異常事態ではなし日も絶賛平常運行中ってなるように。 まあ、それが大数か。体感的には、実感的には、いう話。ていうか1/2に収斂するというよりも、40/100に、560/1000に、49850/100000に、なっていくって考えた方が自分みたいな素養ない人間にゃいいわなあ*1。 *1:結局のところ、1/2って概念をそのままに理解できず、2回に1回という個別的な具体的な例でしか、というか、あん?1/2いうたら2回に1回いうことじゃろがい、としか考えることができない。

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    悪にも悪なりの理由がどうこうって話があれなのは、シンプルな勧善懲悪じゃないからスッキリしないっていう以前に、そもそも覚悟が完了してないからだよなあっとか思う。 これこれこういった理由があったんだからしょうがないじゃないか!?他にいったいどんなやり方があったっていうんだ!?なんて具合に、あくまでそういった原因が悪いのであって、自分は当はイヤなんだけど他に取る手段がなかったのでしょうがなく、ってなカンジで自らが責任を引き受けていないところがさ。理由のせいにしてんじゃねえと。あくまで決断するのは自分だし、その責任を引き受けなければならないのも自分なんだから。 ま、これは正義側にも言える、というかむしろ正義側のが多い気もする。あくまで、これこれこういった理由であるから仕方がなく悪を殺した的な話だと尚更。正しさに逃げている。理由が正しいのだからただそれに従った自分に非はない、的な。そこらへんが読ん

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    結局のところ、物事に意味なんてないんだから、それにリソース割いても仕様がない、それこそ仕様という、天命であり運命であるってことにしておいて、なぜこのようなことになったのか、なんてベクトルに考える力をストップさせて、それでこれからどうするのか、を考える方に向けさせよか、てなことなんじゃないかなとか思う。 末期ガンにせよ、交通事故にせよ、愛する人間の不遇の死にせよ、そこに何の意味なんかありはしないように、顔面が癩病で崩れたことも、また、それは天命である、っつー。どうして自分がこんな目に!と憤り恨み呪い腐るのではなく、これもまた天命であるのだから仕方がない、さて、それでわたしは、これからどうやって過ごしていこうかな、って方向に考えを向けさせるための。 そう考えてみると、自分の意思でどうにかできる権内のことと、自分の意思ではどうにもできない権外のことを、きちんと区別した上で、権外のことについて悩む

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    やっぱり言葉は強い。無意識さんは誰よりも自分にやさしい、というよりも、甘いから、もやもやした状態だと自分に都合の良い方へ良い方へと誘導、改竄してくれて、自分が傷つかないよう傷つかないように、現実をねじ曲げて見せてくれる。でも、リアルな現実じゃ、それはやっぱり良くないというか、ま、そんなやつが上手くいくわけもなく、状況は悪化していく一方なわけだから、上手いことやっていこうと思ったら、どこかで踏みとどまらなければいけない。そこで出てくるのが言葉さん。もやもやした、言葉のない抽象的な思考や感情の渦巻く状態にあっても、言葉を思い浮かべれば意味がきちんと再生される。そういった意味で、やっぱり言葉ってのは指針というか、羅針盤というか、そういったもんなんだろうなあっと。感情+無意識補正なんか、度がきついメガネかけた自信過剰な方向音痴みたいなもんなんだから。

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    「お前が無駄に過ごした一日は昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった一日なんだ」って言葉を見るたびに、うーんっと唸っちゃうんだけど、これには多分理由が2つあって、そのうちの1つは逆の立場からの意見も言わないとバランス取れないよなあってこと。「お前が楽しく過ごした一日は昨日自殺した誰かが死ぬほど生きたくなかった一日だ」的な。 もう1つの理由は、そもそもからして、誰かの今日と、自分の今日は、全然別物だよなあってこと。生きたい人との一日と、死にたい人の一日と、平々凡々と暮らす自分の一日は、そら量的には、一日24時間という時間の単位としては、同じかもしらんけど質的には全然ちがうわけだし。生きたい、死にたい、なんてーのが特別な例ってわけでもなく、たとえば同じ学校、あるいは職場に通っている、生活リズムやパターンが似ている人間同士だとしても、それぞれの一日は、給トマトが出たことを最悪と思ったり最高と思っ

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    美徳の実践に価値を置くってのはなかなか合理的ではあるよなあっと、そんな考えの人を見てふと思う。美徳を実践した結果が報われる報われないどうこうじゃなく、美徳を実際に出力できてる俺すげえ、的な満足。 横断歩道の白線だけ踏んで渡れたら自分の勝ち、とはちょっと違うか。ラジコンで難しいテクニックが成功したときのような、ってこれもちょっと違うな、行為じゃないけど、あこがれの人が身につけてる服や小物を身につけてる時の満足感に近いと思う。自分が最高に価値あると考える、優れた人間でなければなしえない美徳を、この自分の身体が出力しているという、すなわち自分も優れた人間として振る舞えている証左であるみたいな、そんなカンジなんだろうなっと。一体的な満足感というか。 いい子にしてたらサンタさんがプレゼントくれるよ、ではなく、いい子にすること自体が最高に価値のあることなんだよ的なこの考えは、善人が不遇の死を迎えるのに

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    NLP関係のをはじめて読んだけど、屋で入門書をぱらぱら立ち読み程度、自分の考え方と近くてすっと入ってくる。能は快不快を基準に決めてるだとか、基的に自我を守るために肯定しかしないだとか、無意識は否定を認識できないだとか、意識なんて氷山の一角でその下にあるでっけえ無意識さんがほとんど決めてるだとか。ま、自分の場合、最後のはもっと極端に、そもそも意識は能動的なものじゃなく無意識さんが決めた思考・決断・行為を受動的に認識しているモニター機関であり、ほんのわずかの遅延であるからあたかも自分自身が、意識自身が自我を持ち能動的に決めているように錯覚しているだけ、くらいに、半ば気で思ってるんだけど。 56k時代にMC小説を読みあさってたせいもあり、ミルトン・エリクソン繋がりで、NLPって言葉自体は知ってたんだけど、こういうカンジの体系だったのか。てっきり実践的な催眠関係のなにかかと。ま、使えそう

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    ソープの面接に落ちる人。うんこうレベルのAV出たのにネットで星一つの評価をつけられる女優。頭のどっかにひっかかる。なんだろうなあ。現実が垣間見えてるだけなのかな。 この前、読んでたら、売春は体とちゃう、心を売る行為なんやで、なんて書いてあった。その時あたまに浮かんだのは、労働を美徳としてる人に対して、あなたたちと同じように心を売ってる云々ってなことだったけど、でもこの場合、シンプルに感情労働として捉えたほうがスッキリするわなあ、っと考え直す。 物語なんかだと相手をどうするかによって、どうされるかっていうリアリティが決まったりする。単純に相手を倒すと敵がうわーやられたー、ってな話だと復讐されるにしてもこちら側のキャラが相手に捕まる程度で済むけど、敵をぐっちゃり潰して殺すような作品だと、こちら側のキャラも陵辱し尽くされた上に殺される、ってな具合に。世界観というか暗黙の基準の話。 某マンガの

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    悪人でいるのはより多くのエネルギーを必要とする点で、善人気取りは気分を良くさせるという点で、性自体がどうであるかは置いとくにしても、結果として、善の位置にポジションを取る人が多くなるという意味では、性善説。

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    「誰でも大衆から抜け出し、凡人を超えられるということを人々は信じたくはないんだ」 ごもっともで。ましてやそれが毎日の宿題によるものだとしたら尚更。それを認めるということは、あいつらが抜け出してるのは運良く特別な何かを持っているからじゃなく、ただ単に自分が毎日の宿題を怠っていたからだっつーことになっちゃうんだから。

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