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  • 平出和也のK2西壁遭難と20年前の想い出|大石明弘

    「8000m峰に行こう」 私のその言葉に応えてくれたのは平出和也だけだった。 21歳の時だった。 平出は私とは違う大学で、陸上部から山岳部に転部したばかりだった。 長髪で無口だった彼は、東京周辺の山岳部が集まる飲み会で異様なオーラを放っていた。 しかし、その雰囲気とは裏腹に、 「やりましょう! 絶対いきます」 と言って、親し気に顔を向けてきてくれた。 一年後の2001年10月、大学4年生の秋。私たちはチベットのチョ・オユー(8188m)にいた。 遠征をサポートしてくれたのは、お互いの大学だけだった。 7000mでさえも未知の世界だった私は、最終キャンプで高山病になりテントの中に倒れこんだ。 しかし無酸素登頂を目指していていたから、酸素ボンベは持っていなかった。 平出はスープを作り、苦しむ私に飲ませてくれた。 頭は朦朧としていたが、そこから下山しようとは全く思わなかった。 「登ってやる。絶対

    平出和也のK2西壁遭難と20年前の想い出|大石明弘
    mengold
    mengold 2024/08/07
    小さい子供がいる身でやっていい類のもんじゃないよな。本人は前人未到の山に登れていいかもしれんが、まだ何も分からない子供は、いきなり肉親の一人が死んで尚且つ死に目にも会えず遺体も持って帰れない。地獄だろ
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