2018年10月2日のブックマーク (3件)

  • 蕎麦の究極の美学を実感できる名店「並木 藪蕎麦」

    暖簾をくぐると、花番と呼ばれる接客係の女性たちが、席の案内から注文、給仕とてきぱき対応してくれる。その心地よさに常連になった人も少なくない。飾り気がなく、掃除の行き届いた「並木 藪蕎麦」で、池波正太郎は鴨なんばん、山口瞳は冬は鴨ぬき(そばぬきの鴨なんばん)、冬以外は天ぬき(そばぬきの天ぷらそば)を肴に酒を飲むのがお気に入りだった。 つい立ち寄りたくなる東京の老舗「並木 藪蕎麦」の佇まい 入り口から蕎麦屋の究極の美学が匂い立つ 「最近はお客様のほうがよくご存じで、品書きにない鴨ぬきや天ぬきをあたりまえのように注文されます」と3代目となる堀田浩二さん。初代は明治の末に京橋で創業。それから間もなく大正2年に、雷門から通じる並木通りの現在地に店を構えた。 江戸っ子がざるそばをべるとき、少ししかつゆにつけないのは、つゆがからかったからという説がある。東京一からいと言われる「並木藪蕎麦」のつゆをいた

    蕎麦の究極の美学を実感できる名店「並木 藪蕎麦」
    mensprecious
    mensprecious 2018/10/02
    蕎麦の究極の美学を実感できる名店「並木 藪蕎麦」
  • 蕎麦屋で一杯やることを楽しみにたくさんの文士が訪れた銀座の名店

    銀座の一等地に戦前から店を構える「よし田」には、戦後たくさんの著名人が訪れた。女将の矢島一代さんに常連客の名を聞くと、吉田茂の息子で評論家、小説家であった吉田健一のほかに、その師にあたる河上徹太郎、白洲次郎、小林秀雄、高見順、野坂昭如などそうそうたる名前が並ぶ。 料理と接客に多くの文豪が魅せられた、上質な居酒屋のような蕎麦屋「よし田」 お銚子から始まり、肴は海苔に板わさ、玉子焼き 「戦後間もなく店を再開したものの、蕎麦粉が扱えなくて、母は闇市でお酒を仕入れて銀座でもいち早く出していました。それを知って文士の方々がいらっしゃるようになったのです。当時は飲み屋といったほうがぴったりくる感じでした」 新潟出身の先代女将のつくる田舎風のつまみとともに、訛りの残る話し口調も有名人たちにかわいがられた理由だったらしい。それを愛したひとりの吉田健一は週に2度は訪れ、小上がりの床柱にもたれながら一杯やって

    蕎麦屋で一杯やることを楽しみにたくさんの文士が訪れた銀座の名店
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    mensprecious 2018/10/02
    蕎麦屋で一杯やることを楽しみにたくさんの文士が訪れた銀座の名店
  • 江戸時代より続く戸隠蕎麦「大久保の茶屋」

    無頼の文豪、檀一雄。奔放な私生活と共に、美を愛した伊達男であった。著書『わが百味真髄』(中公文庫)で取り上げている長野・戸隠に店を構える「大久保の茶屋」は物の蕎麦を味わいたくなったら、わざわざ足を運ぶべき名店だ。 自伝的小説『火宅の人』を著し、最後の無頼派と呼ばれた小説家、檀一雄。彼は一方で、徹底してを追求し、土地ごとの美味を求めて国内はもとより海外にまで足をのばしたほどの通としても知られている。 そんな旅を記録した『わが百味真髄』(中公文庫)には、新そばを求めて信州を訪れた件くだりがある。行った先は戸隠。標高1000mを超える高原は、霧下蕎麦の名産地である。蕎麦に最適の環境は、年間の平均気温が低く、昼夜の温度差が激しい高冷地。さらに、蕎麦の実が育つころに霧が多く発生する〝霧下〞の蕎麦は最高品質を表すものだ。 皇族も訪れる職人気質な峠の蕎麦屋 香り豊かな戸隠の蕎麦はざるが一番 そん

    江戸時代より続く戸隠蕎麦「大久保の茶屋」
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    mensprecious 2018/10/02
    江戸時代より続く戸隠蕎麦「大久保の茶屋」