�"Diary SIDE�"
最近は試しにいろいろなPodCastを聴いているんだけど、ブームで始めた人の番組には、blogと比較していわゆる「偏った意見」というのが多い気がする。 たぶん「ブームだから音声を録音してPodCastをするぞ」という行動力の有る人や、blogよりも喋るのが気軽だと考えるひとたちのほうがツッコミビリティが高いのかもしれない。 個人的に、ネットのblogとかPodCastはツッコミビリティが高い偏った人のほうが見ていて楽しい。(これは皮肉ではない。単純に、優等生的な当たり前の意見は陳腐で俺の趣味ではないというだけの話) ビジネス方面の人や、いわゆる成功本・自己啓発系の人達ってツッコミビリティが高い偏ったblogを書いている事が多い。そういう人達の主張は読んでいて面白い。逆に周りの人の眼を気にしすぎていて、無難な事しか書いてなくて、ツッコミされたらすぐに自分の意見を引っ込めてしまう人の主張に興味
2005-09-25を読んで。 オレも横浜で生まれて小学二年で横須賀市に引っ越したバリバリの郊外田舎育ちだけど。墨田区の会社で働いていたK原みたいな渋谷区育ちの奴とはセンスの違いを感じたよなぁ。 あと横須賀市だと「葉山のメチャ裕福な家庭育ち」の奴と友達になったときにもギャップを感じたりした。 なんちゅーか、屈託がなくてコンプレックスがないのな。(まぁ彼らには彼らなりにコンプレックスはあったんだろうけど。でも「東京コンプレックス」は無かった) あとオレら郊外育ちの連中が高校生になってからやるような遊びを、山の手育ちは中学時代に済ませていたりもする。(たぶんスーフリ和田は早稲田大学に行ってからそういう遊びを始めたんだろう) さて。 そういう東京山の手向けの作品って何があるんだろうか。郊外モノのコンプレックス系作品は大量に思いつくけど。
Webサービスとかパソコンソフトで「nameless」で対象を扱うものってあんまりないよね。 キーボードでユニークな(重複しない)名前を付ける癖ってのをプログラマは持っているから、自然にその流儀にそった作りに成っている。 日本語だとあんまり有効じゃないけど、英語圏だと「ファイルネームの頭文字を押すとそのファイルにフォーカスが来る」みたいな機能も有ったりする。 でもさぁ。このノリってもう古い気がする。 例えばA4の白紙には名前がついていないよね? そこに電話番号を書いても、やっぱり紙には名前をつけないよね。 宴会参加者全員の電話番号と名前を書いたとしても、やっぱり紙そのものには名前がつかない。まぁ「宴会参加者名簿」という名前がつくかも知れないけど。でもそれってメタ情報じゃないか? 名前なんて後で付ければ良いんです。大事なのはメタ情報。 まぁ実際は「名前」もメタ情報の一種なんだけどさ。今までの
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