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アイデンティティーに関するmetamorphのブックマーク (2)

  • Freezing Point自分の当事者性を捨象する男性フェミニスト

    貴戸理恵は、「コドモであり続けるためのスキル」というのだが、実は貴戸自身は、「こども」としての制度順応に失敗し、「おんな」としての制度順応で社会参加に成功している。つまり、小学校時代に不登校で、思春期以後はずっと社会参加。 「変なコドモ」として存在するのは、とてもみじめで辛いことだった。 ところが、だんだん成長して周りから「女」と認識されるようになるにつれ、そういう「コドモパニック」みたいなものは影をひそめ、私はゆっくりと生きやすくなっていった。「奇妙なコドモ」は許されないが、「奇妙な女」ならそれなりに存在する余地がこの世にはあるのだ。弱さ、暗さ、できなさ、うわの空であること、自信がないこと……それは決して美点ではないが、「女」であれば、「コドモ」がそうであるよりもまだ、「ま、アリなんじゃない」とされ、特に排斥されるポイントではなくなる。 (『コドモであり続けるためのスキル (よりみちパン

    Freezing Point自分の当事者性を捨象する男性フェミニスト
  • 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 〈地続き〉と「切断」——日本の人類学の理論的到達から

    さて、つづきです。 松田素二さんの「切断」という用語のほうから説明しましょう。松田さんは、『抵抗する都市』のなかでは、質主義的な語りを「均質化」の語り、構築主義的な語りを「異質化」の語りと呼んでいます。松田さんは、「抑圧者・被抑圧者を一元的に表象する定型的語りを脱ぎ捨て」て、構築主義的な「異質化」を行ってきた近年のニュー・ヒストリーやカルチュラル・スタディーズの植民地文化研究について、つぎのように言っています。 異質化を進めていくと、一人一人の思いと振舞いへと歴史の語りはシフトしていく。そこでは、生まれながらの弾圧者も、首尾一貫した抵抗の英雄も存在しない。頑固と日和見、良心と悪意を往来しながら生きる「当たり前の人間」が浮かび上がるはずだ。そこには抑圧する側とされる側の境界は消滅するか、ごく低い垣根に変わっている。こうした異質化された「人間像」の提示で、逆に見えなくなるものがある。それが暴

    小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 〈地続き〉と「切断」——日本の人類学の理論的到達から
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