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2007年8月10日のブックマーク (8件)

  • 憲法についての基本的なことのメモ - Arisanのノート

    きのうのエントリーを読んで、戦後の日が「暴力的な社会」「暴力的な国家」だというなら、平和憲法はどうなるのだ、それは何の意味も持たなかったことになるではないか、と思う人がいるかもしれない。 しかし、そうではない。 戦後の日の憲法は、元来、国家がもつこの暴力性への歯止めとして存在するものなのだが、その目的が十分に果たされず、誤った用いられ方をしてきた、とみるべきだと思う。つまりそれは、その来の機能を十分に展開しないままに、悪い用いられ方をしてきたのであって、必要なのは、この「用法」の方をあらためる、ということである。 国家は、ある人を、他人や他の勢力、場合によっては他の国による暴力から守るという機能を果たす。だが、その方法は、暴力の合法的な独占ということであるため、国家自体が巨大な暴力となって、個々の人に襲いかかるという事態も生じうる。 憲法においては、こうした事態に際して、個々の人を国

    憲法についての基本的なことのメモ - Arisanのノート
    metamorph
    metamorph 2007/08/10
    用法を誤ってきた日本国憲法
  • 欺瞞としての反米 - Arisanのノート

    http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html 秋葉忠利広島市長による今年の「平和宣言」はたいへんすぐれた内容だと思うが、そのなかでも、とりわけ意義深いと思ったのは、次のような箇所である。 14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。 それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。 しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい

    欺瞞としての反米 - Arisanのノート
  • 風刺と説得 - 非行型愚夫の雑記

    風刺バナーに噛みついている人の姿を見て、ある種の人々は風刺と説得の区別がついてないのかなと思いました。 対象の特徴を誇張して現実を戯画化した一コマ風刺漫画は対象にシンパシーを感じている人には不愉快なものでしょうが、そういう風刺はもとからそれを見て不愉快になる人向けのものではありません。(相手の精神的消耗を狙っている場合は除く) どういう人向けかといえば、対象に対する「不満」を共有する人と皮肉が分かる人向けです。(皮肉が分からない人には誤解されやすい風刺もあったりするので、両方兼ねているほうが望ましいです) 対象に対する「不満」を風刺により「笑い」とし、対象に対して「不満」を持つ人々を共感でつなぐことができれば、風刺はその役割を果たせているわけです。(その点、bogusnewsは非常に巧み) そういう風刺で不愉快になる人が、それを自らに対する「説得」と感じるのは自意識過剰というものですし、「

    風刺と説得 - 非行型愚夫の雑記
  • 「いい親」、ということ。 - ちゃずけのはてなにっき

    私もずっと「いい親ってなんだろう」と考えている。 「いい親」って自分で思うだけでは足りなくて、でも他人からの評価だけでは計れない。 子供の評価も子供はまだ自分の尺度がないから子供には「いい親」であっても 将来的に見てどうか、当に難しい。 他人を「おぞましい親」などと断罪できる人間は自分はさぞかしよい親だとの自信があるのだろうが、 私が知る限り、そういう人間の子供はいびつに育っていることが多い。 また、親である他人を非難する人間に子供がいないことも多い。 残酷な真実を述べよう。幻の子供の理想の親になら誰でもなれるのだ。 今、歯科医師の子供の殺人事件の公判が雑誌の見出しに時々載っていて、殺人者である兄の方を あくまでかばおうとする両親に非難めいた論調が多い。 被害者の妹に対して愛情はなかったのかと疑いたくなるような行状の暴露に 私もあんまりだと思うこともある。 ただ、以前にも書いたように生き

    「いい親」、ということ。 - ちゃずけのはてなにっき
  • 野田正彰さん、だいじょうぶですか。|藤井誠二のブログ

    藤井誠二のブログノンフィクションライター的日常野田正彰さん、だいじょうぶですか。 前回のエントリーと合わせて読んでいただきたいのだが、産経新聞上のコラム「断」で展開された宮崎哲弥氏から野田正彰氏に対する批判に対して、野田氏人が反論をした。http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070804/bnk070804000.htm あらためて宮崎氏の批判を読んでいただいたうえで、野田氏の反論を読んでほしい。 「精神鑑定医への疑問」 宮崎哲弥 司法精神鑑定について、こんな正論がある。 「精神鑑定とは、厳密に言えば、犯行時に精神病であったか否かを診断し、裁判官や検察官に心神喪失者か心神耗弱者か否かの判断の資料を提供するものである。決して「『動機や動機形成の過程』を解明したり、『心理状態などを調べる』ものではない」「『なぜこんな凶悪な事件が起こったの

    metamorph
    metamorph 2007/08/10
    客観的な判断というよりは単に藤井の現在のスタンスから導かれるような記事でうんざり。宮崎哲弥が信用できない人間であることが確信されつつある。
  • http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070808130729/index.html

  • 宮崎哲弥さん--無内容なキレ芸人? | A Tree at ease

    光市の母子殺人事件の被告人(当時18)に死刑を適用する、しないという問題が昨日お昼の番組で報道された。特に新しい論点はないけれども、弁護団の数が増えていることについて、評論家の宮崎哲弥さんは不快感を示し、死刑廃止の流れはあるけれども、そういう問題は立法府に対して行うべきであり、裁判に持ち込むな、という。 一体この人にまともな見識というものがあるのだろうか。朝日ニュースターにもでているような人だから少しはまともな人かなと思っていたのだが、やはり地上波(この時間、ほとんどの人は「おもいッきりテレビ」や「笑っていいとも」を見てるだろうから影響ないかも)のワイドショーに出してもらおうと思ったら、権力側が喜びそうなことをいうしかないのだろうか。 そもそもフランスで死刑が廃止されたのも、多くの死刑囚を担当した弁護士さんが中心となって運動して、個々の事件における死刑の不当性を訴え、それがやがて法案化され

    宮崎哲弥さん--無内容なキレ芸人? | A Tree at ease
  • 漫画「ぼくらの」と宿命 - 絶倫ファクトリー

    最近ふと、「謂れのある宿命・謂れのない運命」どちらが残酷で、どちらが自由なのだろうか、ということを考える。 【送料無料】ぼくらの(1) ジャンル: ・雑誌・コミック > その他ショップ: 楽天ブックス価格: 590円楽天で詳細を見る この「ぼくらの」という作品を読んだ上で、「八月」という季節に生きることを考えると、ますます考えざるを得ない(以下ネタバレ注意) 「ぼくらの」では、ジアースという巨大ロボットを15人の少年少女が代わる代わる操り、地球にやってくる敵を倒す。操縦者は戦闘の度にランダムに選ばれるが、戦闘に勝利するとパイロットは死ぬ。 この「ぼくらの」がアニメ化される際、アニメ監督のブログでひと悶着起きた。詳細は省くが、監督が弁解の際、以下のような言葉を用いている。 これだけは約束できます。「子供たちはなぜ死ななければならなかったのか?」という原作最大の謎から私は逃げません。 これを

    metamorph
    metamorph 2007/08/10
    辛さとか自由の問題なのだろうかという疑問を持った。SF小説の冲方丁『マルドゥック・スクランブル』(ハヤカワ文庫)のテーマとして扱われている。