昭和10年夏、若き作家、太宰治は千葉県船橋市宮本の借家に移り住んだ。都会を離れた海辺の町。病気療養を兼ね、1年余り暮らした。太宰は転居を重ねたが、戦後の作品「十五年間」でこう回想している。「千葉船橋町の家が最も愛着が深かった」 春の陽光がふりそそぐ。JR船橋駅前。船橋在住の太宰治研究家、海老原義憲さん(63)と待ち合わせた。路地を歩いて旧居跡に向かう。桜の巨木が枝を張る。 「このあたりは、昭和初期の雰囲気が残っています。太宰は竹のステッキを持って近所の銭湯へ通った。女湯で評判になったそうです」 海老川が見えてきた。九重(ここのえ)橋。欄干に「走れメロス」の銅板。橋を渡って住宅地に入る。2階建ての民家が建つ。「太宰治旧居跡」の表示があった。ここか。 ■吉岡家との交流 斜め向かいに吉岡家。家族ぐるみで親交があった、吉岡伸哲(のぶあき)さん(81)は語る。「当時、私は3歳です。太宰の記憶はありま
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