「教える」ことを仕事としてから、自分でも驚くほど長い歳月が経った。学校が大嫌いだった僕が、まさか人から「先生」と呼ばれることがあるとは夢にも思わなかったが、今でも自分を「先生」だと定義したことは無い。 それなりに経験を積んでみても、他人に何かを「教える」ことの難しさに直面するばかりで、そこに僕自身の「学び」はあっても、「生徒」である相手から見て「有意義」なことができているかどうかは、未だにわからない。むしろ、どんどんわからなくなってゆく感覚さえある。 僕は「学校」が嫌い(苦手)だったし、その感覚は「先生」という存在に対しても同じだ。だからこそ、自分がその立場になってみた時の「危険性」について、より多くのエネルギーを費やして考えざるを得ない。 僕のレッスンには、「マニュアル」は無い。大切にしているのは、「今」生徒さんが何を求めているかであり、それに応えるには「事前の準備」はほとんど役に立たな