卒業シーズンが近づいてきました。 毎年、この時期になると、必ず聞こえてくるのが、「中学(高校)卒業を期に、芸能界を目指すことをあきらめます」という声です。 何度も耳にしているとはいえ、このような世界に関わっている人間にとっては、最も寂しいフレーズであるのは間違いありません。 今回は、そうした芸能予備軍にとっての「卒業」を検証し、どのように対処していったらいいか、私なりにアドバイスをしてみたいと思います。 芸能予備軍「卒業」の主な理由 まずは、今までの取材経験から、芸能予備軍が、夢を追うことを「卒業する」理由を列挙してみました。 経済的、家庭的状況の変化で、夢を追い続けることが困難になった。 受験勉強、学校での勉強、部活、仕事が忙しくなってきた。 親と「芸能界を目指すのは中学(高校)卒業まで」という約束を交わしていた。 ダンスレッスン、ボーカルレッスンが苦痛に思えてきた。 彼氏(彼女)との付
まなみのりさの3人が巫女姿になるひろしま清盛美少女隊に会いに行く。 広島清盛美少女隊とはNHK大河ドラマ「平清盛」をPRするために結成されたユニットでまみりがやってます(笑) イベントの場所は広電宮島口駅内。 NHK大河ドラマの主人公「平清盛」を盛り上げる企画であり、広電の車体にラッピングするそうだ。 鉄ヲタ・アイドルヲタが駅に集まり電車が来るのを待つ。 電車が入ってくるとここで広島清盛が登場! 実は清盛はその前にこのホームで着替えていました(笑) みんなこう思っていたんです。 「みんなに見えるここで着替えていいのか?(汗)」 ミッキーマウスだったら大問題だな(笑) 扇子を広げアピールする清盛君。 周りの美少女隊ファンが「清盛さんもっと笑って!」とか「何かしゃべって!」などかなり無茶振りを。。。 調子に乗った清盛くんは抜刀して更に存在感をアピール! しかし後に出てくる3人の巫女により彼の存
1月17日に選考会が行われた第146回芥川賞は、円城塔「道化師の蝶」と田中慎弥「共喰い」の2作が受賞した。 東京會舘で開かれた記者会見の席上、次回作に関する質問を受けた円城塔は、伊藤計劃の遺作となった未完の長編『屍者の帝国』を引き継ぎ、完成させる意向を明らかにした。 いわく、 「わたくしはデビューして今年で5年目になるんですけれど、ほぼ同時期にデビューして、3年前に亡くなった、伊藤計劃というたいへん力のある作家がいました。その伊藤計劃が残した冒頭30枚ほどの原稿があります。それを書き継ぐ----といっても、彼のように書くことは無理なんですが、自分なりに完成させるという仕事を、この3年間、ご家族の了承を得てやってきました。そろそろ終わりそうです。『なぜおまえが』という批判は当然あるでしょうが、次の仕事として、やらせていただければと思っています」 この会見は「ニコニコ生放送」で生中継されており
印刷 本州を中心に、日本列島の太平洋側で乾燥した天気が続いている。気象庁が全国約1300カ所に設けた降水観測施設のうち、400カ所弱で、15日までの30日間降水量が平年の10%未満しかなく、うち半分近くの場所では0ミリを記録したことがわかった。 気象庁が出した降水観測施設のデータから、朝日新聞が調べた。関東地方や静岡県などは、大半の観測場所で30日間降水量が0ミリだった。東京では乾燥注意報が史上4位の長さとなる33日間も継続して出ている。 気象庁によると、太平洋東部から中部にかけて海面水温が下がる「ラニーニャ現象」の影響などで、偏西風が南に蛇行。昨年12月中旬ごろから寒気が入り込みやすくなり、シベリア高気圧の勢力が西日本まで広がった。そのため、雨を降らせる低気圧の影響を受けにくくなっているという。 気象庁のまとめでは、12月中旬は近畿地方の太平洋側、山陽地方で降水が平年比0%となり
記事一覧 村全滅は天正地震の津波原因でない 美浜「くるみ浦」伝承、外岡教授 (2012年1月18日午前9時35分) 福井県美浜町の常神半島東側に過去、大津波が押し寄せて「くるみ浦」という村が全滅した伝承をめぐり、外岡慎一郎敦賀短大教授(日本中世史)が地元に残る17世紀後半の古文書を調べた結果、同村の滅亡は1583年ごろとみられ、86年の天正大地震による津波が原因ではないとの結論をまとめた。 くるみ浦をめぐっては1955年発行の「三方郡西田村誌」に、「小川の裏の山を越した日本海岸を血の裏といい、そこには以前クルビという村があったが、ある晩村人が出漁中に大津波が押し寄せて、神社と寺と民家1軒だけを残して全滅した」との記述がある。 一方、戦国時代の日記「兼見卿記(かねみきょうき)」などには天正地震による大津波が若狭湾を襲ったとの記録があると判明し、関西電力など県内の電力事業者は若狭湾周辺で津
国際政治の研究者として最も難しい選択が、戦争の是非の判断だ。政治家ではないのだから、開戦を決める権限も責任もない。状況を左右する力を持たないのに開戦を論じるのは滑稽な思い上がりだ。だが、わかっていても、気にかかるのはどうしようもない。開戦の評価は、戦争の回避を希求しながら状況によっては武力行使が必要なことも自覚するという、国際政治学の本質的な矛盾を突く選択だからだ。 2003年のイラク戦争では、戦争が間違いであると開戦前から確信していた。制空権さえ多国籍軍に奪われたフセイン政権を国際社会への脅威とするのは乱暴だった。独裁体制には違いないが権力は破綻(はたん)していない。独裁を倒す運動が高揚する状況もない。開戦に踏み切れば多くの犠牲を生む一方、アメリカが国際紛争に対して持つ抑止力を弱め、国際関係は不安定を増すだろう。要らない戦争を戦ってはいけない。アメリカは国を誤るという懸念からこの戦争につ
源頼朝はなぜ「奥州征伐」あるいは「エゾ征討」を行なったのか。 主な理由は、頼朝と対立するに至った弟の源義経を奥州藤原氏がかくまったからだと言われている。だが、頼朝が奥州征伐を敢行したのは、「義経の身柄をさし出せば恩賞も与えよう」という頼朝の甘言につられて、藤原泰衡(やすひら)が義経の館を急襲して自殺に追い込み、その首を鎌倉に運ばせた後のことである(石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』)。頼朝は結局、一一八九年、「平泉の藤原氏を滅ぼし、その支配領域であった陸奥・出羽両国をそっくり手中に収めた」(宮島利光『アイヌ民族と日本の歴史』)。 いろいろ調べていくと、この「奥州征伐」あるいは「エゾ征討」の問題を理解するためには、歴史的に遡って、そもそも蝦夷(エミシ・エゾ)や奥州藤原氏とはどういう存在だったのかを考えなければならないことがわかってきた。 石井進氏は、東国*1と呼ばれる地方は、「都の支配者からは
なぜいかにして武士は出現するにいたったのか。 下向井龍彦氏は『武士の成長と院政』の第一章「武士以前」で、「武士は十世紀以降、反権力武装蜂起を鎮圧するための軍事力として出現し、成長していった」と言っている。それは、七世紀半ば以降、唐帝国の影響を受けて成立した日本の「律令国家」が、十世紀頃から土地支配(土地課税)に基づく「王朝国家」へと転換する時期にあたっている。その転換を促したのは、八世紀末の「大規模な兵力削減」と九世紀の中央政府の「規制緩和政策」だったと下向井氏は指摘する。 安禄山(あんろくざん)の乱を契機に唐帝国を中心とする東アジア国際秩序が動揺するなか、宝亀(ほうき)十一年(七八〇)二月、前年に来日した新羅貢調使(こうちょうし)が帰国するにあたって、天皇=日本政府は一方的に外交関係の解消を通告し、政府は大規模な兵士削減を決定した。 対新羅朝貢要求の放棄は対新羅軍事侵攻の放棄にほかならず
18日午前8時50分頃、札幌市営地下鉄東西線「新さっぽろ駅」(同市厚別区厚別中央)で、扉を開けて停車していた回送電車(7両編成)が乗客80人を乗せたまま出発した。 男性運転士(47)は、車内アナウンスで「申し訳ありません。(車両基地に向かう専用線の)入庫線に来てしまいました」と説明、隣の「ひばりが丘駅」(同区厚別南)の回送電車専用ホームで乗客を降ろし、同市交通局の職員が東西線の同駅ホームへと乗客を誘導した。 同局によると、新さっぽろ駅では回送電車とアナウンスがあり、掲示板には電車の行き先を「回送」と明示していた。ところが、運転士は車両基地に向かう専用ホームへの分岐点に近づくまで、回送電車と気付かなかったという。同局によると、男性運転士は「営業電車と思いこんでいた」と説明しているという。
三重県明和(めいわ)町の県立斎宮(さいくう)歴史博物館は17日、同町の国史跡・斎宮跡から、ひらがなの「いろは歌」が書かれた平安時代の墨書土器が見つかったと発表した。 11世紀末~12世紀前半の土師器(はじき)で、ひらがなで記されたいろは歌としては国内最古の確認例という。同博物館は、斎宮に宮廷文化がいち早く伝わっていたことを示す貴重な発見としている。 土師器は4枚の破片で、つなぎ合わせると縦6・7センチ、横4・3センチ、高さ1センチになる。表の面に「ぬるをわか」、裏の面に「つねなら」と書かれている。 斎宮は670年頃から1330年頃まで、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」の宮殿があった場所で、地元の女官が文字を覚えるために書いた可能性が高いという。
少年の性と暴力の衝動を描いた「共喰い」で第146回芥川賞の受賞が決まった田中慎弥さん(39)。 昨日の受賞会見では「もらってやる」発言が物議を醸しています。どのような文脈での発言なのか、受賞会見を全文掲載します。 確かシャーリーマクレーンだったと思いますが、アカデミー賞の候補に何度もなって、最後にもらったときに「私がもらって当然だと思う」って言ったそうですが、まあだいたいそういう感じです。 4回も落っことされた後ですから、ここらで、断ってやるのが礼儀だと思いますが、私は礼儀を知らないので。 もし断ったと聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで。都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる。あの、とっとと終わりましょう。 (以下、質疑) Q:東京で書いていない方が受賞しましたがそのことについては? そのことに関しては感想はありません。 Q:ほかの受賞された
コナミデジタルエンタテインメント(KDE)は3月1日付けでハドソンを吸収合併し、ハドソンは解散する。ハドソンが1月17日、関東財務局長に提出した臨時報告書で明らかになった。 KDEの親会社・コナミは昨年4月にハドソンを完全子会社化。ハドソンは携帯電話向けコンテンツを制作しているが、「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、グループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」として合併する。 ハドソンは1973年、札幌市のアマチュア無線機器販売店としてスタート。その後パソコン用ゲームソフトの販売に乗り出し、任天堂「ファミリーコンピュータ」向けソフトに進出。「バンゲリングベイ」などで知られ、「ファミリーベーシック」を任天堂と共同開発した。 関連記事 高橋名人、ハドソンを退社 16連射の「高橋名人」として親しまれている高橋利幸さんが、
中国共産党が正史として清史を書くという。なんとも笑えない冗談のようでもあるが、冗談ではない。清朝が滅亡した1912年から期年を設定し、2003年から清史工程として推進されていた。今年終了するらしい。発表は来年であろう。 いつの時代でもその時代の価値観に沿って歴史が書かれるのは、ごく当たり前のことに思われる。何が起きてもそれが重大事件であれば歴史として記されるようにも思われる。だが、中国の正史というのは現代人の考える歴史とは異なる、ある奇妙な物語である。一言で言うなら、中国における正史とは日本における天皇のようなイデオロギー的な幻想であり、ちょうど天皇と等価な存在だろう。 史記を著した司馬遷以来、中国の正史は「正統」を明示するための論証の目的を持っている。その時代の皇帝が天命を受けたことの証明である。司馬遷の場合は武帝が皇帝であるという弁証でもあった。皇帝はひとりでなくては正統とは言えないの
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