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2012年6月18日のブックマーク (7件)

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    mfluder
    mfluder 2012/06/18
    きみともキャンディ2期"新メンバーに坂出市の高校1年、蔵本沙利那さん(15)ら3人が決まった"高松市の中学2年、八田(はった)結衣さん(13)と藤田礼(あや)さん(13)"「笑顔を振りまき、たくさんの人に幸せになってもらいたい」"
  • 一人で行く真野恵里菜コンサートツアー2012~DATE~ 3st

    mfluder
    mfluder 2012/06/18
  • 昨日の真野現場にピンチケがいっぱいいてげんなりした・・・・・・

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    mfluder 2012/06/18
  • 被災地の現在 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~

    さて。 昨日は、東京から来た某出版社の編集者さんとともに、東日大震災の被災地を視察してまいりました。 まずは国道6号線をひたすら南下し、通行止めになっている南相馬市の小高区まで。 ここは福島第一原発からおよそ10.5kmの地点。警察が通行規制をしています。ガイガーカウンターなどという軟弱なものは持っていきませんでしたが、南相馬市の発表によれば放射線量は0.3〜2.0マイクロシーベルトの範囲内にあり、健康に影響を与える数値ではありません。 小高区は、4月16日に警戒区域と計画的避難区域が解除されたばかりで、津波被害からの復旧がまったく進んでいません。国道沿いには破壊された店舗や住宅がまだ撤去されることなく残っており、海岸に近づくとさらにその爪跡は鮮明になります。 海岸沿いの防風林は、ほとんどの木が抜けてスカスカの状態。これは東日の太平洋沿岸すべてが同じ状況にある、といってもいいです。 か

    被災地の現在 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~
  • いつも見聞きしているアカウントが消えてしまった事について/はてな村の隣人がまた一人減った…。 - シロクマの屑籠

    日、『なんかねー、ブログ消した。』から始まる以下の文章をはてな匿名ダイアリーで見かけた。 http://anond.hatelabo.jp/20120616105328 上記が投稿されたのとほぼ時を同じくして、はてなid:nakamurabashiさんのblog『G.A.W.』の記事が読めなくなり、同一アカウントのミニblog等も読めなくなった。このことと文体その他から察するに、匿名ダイアリーの文章はid:nakamurabashiさんのそれだと私は断定した。 『G.A.W.』といえば、はてなダイアリー界隈――あるいは、はてな村界隈と言っても良いかもしれない――では著名なblogだった。著名なblogだったと思う。コンビニエンスストア関連の記事で不特定多数の注目を集める一方で、エロゲーについての感想やインターネット上での体験談など、ややマニアックではあっても読む人によっては記憶に残るよう

    いつも見聞きしているアカウントが消えてしまった事について/はてな村の隣人がまた一人減った…。 - シロクマの屑籠
    mfluder
    mfluder 2012/06/18
    "今日日のインターネットでは、ブログ根性とは対極的な・キャラやコンテンツを進んで受け容れるような人も珍しく無い"これは俺のブログで俺のインターネットなんだ。俺は俺の好きなことを書きたいんであって、他人の
  • 断絶と欺瞞 - kom’s log

    北海道の泊原発が定期点検で2012年5月5日に停止してから、日で運転している原子炉はゼロになっていたが、6月下旬には福井の大飯原発が再稼働する見込みである。再稼働によってすでに存在している放射性廃棄物の量が劇的に変化するわけではない。あるいは夏が終われば止めればよい、のかもしれない。そもそも崩壊熱という現象を考えれば、原子炉の「停止」はスイッチのオン・オフとは原理的にことなっている。 とはいえ再稼働には欺瞞がある。歴史的な欺瞞である。 私が注目するのはその安全性の検証が311以前と同じような建前を中心に行われたという点である。「絶対安全」という原子力発電を推進するための標語的な建前がいつしか当のことになってしまい、政府関係者、電力会社の人間のほとんどがいつしか気でそれを信じるようになった、というおそらく福島の事故の最も根幹にある病因が、311後にほとんど変更もなく通用している。311

    断絶と欺瞞 - kom’s log
  • 愚弄の追認 - kom’s log

    原発の再稼働に急ぐ電力会社・野田政権・および経団連などの動向を耳にするにつけ、よくもまあ、人々をここまでコケにできるものだ、と私は思う。これは再稼働が妥当かどうか、という判断以前の問題だ。コケにされている圧倒的人数は不満を述べている。しかしそれはまるで蟷螂の斧であって、嬲られているという表現のほうが正しいかもしれない。 先日は「欺瞞」と書いた。欺瞞に対する人の反応も様々だ。感情的に怒ったり、逆にシニカルになったり、いやこの判断は妥当である、と述べてみたり、欺瞞に結託してみたり、経済が、と解釈したりしている。しかしそれもまた無関係。否定にしろ賛成にしろ、いずれにしろ追認にすぎないことはもはやはっきりしている。民主主義国家の亜形態として追認主義国家、という分類を作ったらよいかもしれない。 ひどいものだ、と思っていたら、このところ定期的に眺めていた日テレビドラマに、現在進行形のこの事態に対す

    愚弄の追認 - kom’s log