1963年12月20日~65年8月10日 経済復興を遂げ、サッカーのW杯ベルン大会で初優勝した1950年代の後半。西ドイツ人は失っていた自信を取り戻し、ナチス犯罪の過去を忘れようとしていた。 ナチ犯罪の重さ 敗戦から十余年。ナチスの主要指導者たちは敗戦直後のニュルンベルク国際軍事法廷ですでに裁かれ、ナチスを支持した知能犯たちも脱ナチ化法によって審判を受けていた。暴力的な実行犯に対する訴追は続いていたが、決め手となる証拠はなかなか集まらない。1950年に809件あった有罪認定は、58年にはわずか22件にまで減少する。 古傷には触るな̶̶。社会には暗黙の了解があっただろう。しかし追及の手をゆるめない人々がいた。バーデン=ヴュルテンベルク州のネルマン検事長とヘッセン州のバウアー検事長が中心となって、シュトゥットガルト近郊ルードヴィクスブルクにナチ犯罪追及センターが設立されたのは58年12月。最も