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重力式アーチに関するmforce4のブックマーク (9)

  • 小原ダム (福井県) - Wikipedia

    小原ダム(おはらダム)は、福井県勝山市、一級河川・九頭竜川水系滝波川に建設されたダム。高さ35.5メートルの重力式アーチダムで、北陸電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・滝波川第一発電所に送水し、最大1万2,300キロワットの電力を発生する。 歴史[編集] 建設[編集] 福井県勝山市を流れる滝波川は、石川県との県境にそびえる両白山地(加越山地)・赤兎山・大長山に端を発し、勝山市中心部で九頭竜川に合流する、長さ約20キロメートルの川である[2]。滝波川では明治時代から当時の電力会社・京都電灯によって水力発電所の建設が進められ、1908年(明治41年)9月に完成した中尾発電所(600キロワット)を皮切りに、1918年(大正7年)3月に木根橋発電所(650キロワット)が、1919年(大正8年)4月には薬師発電所(547キロワット)が完成している[3]。これら3発電所はのちにいずれも800キロ

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  • 鷲ダム - Wikipedia

    鷲ダム(わしダム)は、福井県大野市鷲、九頭竜川水系九頭竜川に建設されたダム。高さ45メートルの重力式アーチダムで、電源開発(Jパワー)の発電用ダムである。同社の揚水式水力発電所・長野発電所の下池を形成。上池・九頭竜ダム(九頭竜湖、国土交通省・電源開発共同管理)との間で水を往来させ、最大22万キロワットの電力を発生する。 歴史[編集] 1957年(昭和32年)、電源開発は九頭竜川上流部における水力発電所建設計画を発表した。この時点では鷲ダムの建設はもちろん、揚水発電自体が計画に含まれていなかった。計画に揚水発電を加味するように勧めたのは通商産業省(通産省、現・経済産業省)であり、このとき揚水発電の下池として鷲ダムが計画された。九頭竜ダムおよび鷲ダムは1968年(昭和43年)に完成し、長野発電所の運転が開始された。 周辺[編集] JR越美北線・九頭竜湖駅から国道158号を東へ進んで間もなく鷲ダ

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  • 七色ダム - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "七色ダム" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年11月)

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  • 湯田ダム - Wikipedia

    湯田ダム(ゆだダム)は、岩手県和賀郡西和賀町杉名畑、一級河川・北上川水系和賀川に建設されたダムである。 国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで、北上特定地域総合開発計画(KVA)に基づき計画された「北上川五大ダム」の第三番手として計画・建設された。堤高89.5メートル、型式は全国に12基しか存在しない重力式アーチダムで、東北地方では唯一の存在である。水没住民との補償交渉が難航した初期事例としても知られている。ダム湖は錦秋湖(きんしゅうこ)と呼ばれ、北上川水系では田瀬湖に次ぐ大規模な人造湖であり、観光地でもある。 岩手県・宮城県を流れる東北第一の大河川・北上川は一関市付近で急激に川幅が狭くなる。このため一関市より上流部では大雨が降ると度々洪水の被害を受けていた。根的な解決は川幅の拡張であるが、約18キロメートルにも及ぶ狭窄部の開削は技術的に不可能であり、これに代わる対策が必要で

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  • 高山ダム - Wikipedia

    高山ダム(たかやまダム)は、京都府相楽郡南山城村、一級河川・淀川水系名張川に建設されたダムである。 沿革[編集] 建設までの道程[編集] 淀川は近畿地方の大動脈として関西の政治・経済活動に深く関与している。しかし古来から氾濫を繰り返す河川でもあった。このため明治以降瀬田川洗堰建設や巨椋池の宇治川からの離断・干拓、新淀川開鑿等様々な対策を講じていた。だが1953年(昭和28年)に淀川流域を襲った台風13号は、今までの河川改修を嘲うかのように大きな被害をもたらした。 全国的に水害の被害が連年勃発し、敗戦で壊滅した日経済がさらに疲弊することを恐れた経済安定部は淀川を始め利根川・北上川・木曽川・吉野川・筑後川等主要10水系において河川総合開発計画を進め、これ以上の水害による被害拡大を阻止しようとした。多目的ダム建設を骨子とした「河川改訂改修計画」は1949年(昭和24年)に発表されたが、淀川水

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  • 二瀬ダム - Wikipedia

    二瀬ダム(ふたせダム)は、埼玉県秩父市、一級河川・荒川の流最上流部に建設されたダムである。 国土交通省関東地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、荒川水系では初となる多目的ダムである。高さ95.0mの重力式アーチダム。荒川の治水と埼玉県北西部の既得農地に対する農業用水補給および県営の水力発電が目的である。浦山ダム(浦山川)や滝沢ダム(中津川)と共に荒川上流ダム群を形成している。ダムによって形成された人造湖は、秩父宮妃によって秩父湖(ちちぶこ)と命名された。秩父多摩甲斐国立公園に指定されている。 沿革[編集] 荒川は名前が示す通り古くから氾濫を繰り返す河川であった。このため荒川放水路開削を始め様々な治水対策が行われてきたが、1947年(昭和22年)のカスリーン台風によって流域は更なる被害を受けた。建設省(現・国土交通省関東地方整備局)は荒川の治水を図るべく「荒川総合開発事業」に着手。この

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  • 阿武川ダム - Wikipedia

    阿武川ダム(あぶがわダム)は、山口県萩市川上(旧阿武郡川上村)地先、二級水系・阿武川水系阿武川川に建設されたダムである。 山口県が管理する都道府県営ダムで、堤高95.0mの重力式アーチダムであり、同型式のダムとしては現在国内最後の施工例となる。都道府県営ダムとしては堤高及び総貯水容量において全国屈指の規模を誇る、阿武川の治水と水力発電を目的とした補助多目的ダムである。ダムによって形成された人造湖は阿武湖(あぶこ)と命名され、中国地方屈指の人造湖である。 沿革[編集] 山口県日海側に注ぐ河川では最大である阿武川は、上流部に長門峡等の名勝を有する急流河川であり、古来より氾濫の多い河川であったが戦中戦後に乱伐が行われたことにより保水力が著しく低下したこともあって、戦後数々の洪水被害を発生させる状況にあった。特に河口部の萩市は三角州の内側に市街地が発展していたことからデルタ地帯特有の低湿地を形

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  • 重力式アーチダム - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "重力式アーチダム" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年8月) 日にある重力式アーチダムの一つの湯田ダム 重力式アーチダム(じゅうりょくしきアーチダム、Concrete Arch Gravity Dam、CAGD)は、ダムの型式のひとつで、重力式コンクリートダムとアーチ式コンクリートダムの特性を兼ね備えている。 概要[編集] アーチ式ダムを作れるほど岩盤が堅固ではないが、重力式コンクリートダムよりもコンクリート使用量を節約することができる。構造的にはアーチによって人造湖からの水圧を両岸の堅固な岩盤に伝え、さらにダムの

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  • 新成羽川ダム - Wikipedia

    新成羽川ダム(しんなりわがわダム)は、岡山県高梁市備中町西油野地先、一級河川高梁川水系成羽川に建設されたダムである。 概要[編集] 高梁川は岡山三大河川の1つであり、特に河口部は水島臨海工業地域等があり工業生産が盛んな地域である。戦後急速に工業地域は拡大して行くがこれに対応できるだけの電力供給のための整備は遅れていた。高梁川水系では成羽川の右支川である帝釈川に1924年(大正13年)帝釈川ダム(重力式コンクリートダム・62.1m)が完成していた他は水力発電は特記するものが無かった。このため中国電力は新規電源開発地点として成羽川中流部を選定し、1963年(昭和38年)より「新成羽川発電所建設計画」として3ヶ所の発電専用ダムを建設する計画を立てた。その根幹施設が新成羽川ダムである。 ダムの型式は全国に12基しか存在しない重力式アーチダム、堤高は103.0mと日最大規模の重力式アーチダムである

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