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駆逐艦に関するmforce4のブックマーク (217)

  • 峯雲 (駆逐艦) - Wikipedia

    50口径12.7cm連装砲 3基6門 25mm機銃 II×2 (または13mm機銃 II×2) 61cm4連装魚雷発射管 2基8門 (九〇式魚雷16) 九一式爆雷×36 峯雲(みねぐも)は、日海軍の駆逐艦[4]。 朝潮型駆逐艦の8番艦である[5]。『戦史叢書』等、一部資料では「峰雲」と表記する[6]。 概要[編集] 一等駆逐艦峯雲(みねぐも)は、日海軍が藤永田造船所で建造した朝潮型駆逐艦で[7]、1938年(昭和13年)4月に竣工した[8]。 1941年(昭和16年)6月23日、駆逐艦夏潮と黒潮を巻き込む多重衝突事故を起こした[9]。 12月8日の太平洋戦争開戦時、ひきつづき朝潮型4隻(峯雲、朝雲[10]、夏雲[11]、山雲[12])で編制された第9駆逐隊に所属し[13]、第四水雷戦隊僚艦と共に南方作戦にともなうフィリピン作戦、蘭印作戦(バリクパパン沖海戦、スラバヤ沖海戦、クリスマス

    峯雲 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/08
    みねぐも,朝潮(あさしお)型-8番艦
  • 峯風 (駆逐艦) - Wikipedia

    峯風(みねかぜ)は、日海軍の駆逐艦。峯風型の1番艦である。「峰風」と表記される場合がある。艦名は峯に吹く風に由来する。 艦歴[編集] 舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入された。 1920年(大正9年)12月、同型艦の「澤風」、「矢風」、「沖風」と共に第二駆逐隊を編成し、第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。 1932年(昭和7年)、第一次上海事変に際して、長江水域の諸作戦に参加した。1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)には、日中戦争における華北・華中沿岸での諸作戦に従事。 1940年(昭和15年)10月11日、横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に参加[1]。 1941年(昭和16年)9月15日、鎮海警備府に編入され、対馬海峡方面で哨戒活動を行った。 1942年(昭和17年)4月10日、「峯風」は佐世保防備戦隊に編入された。同月12日に佐世保

    峯風 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/08
    みねかぜ,峯風(みねかぜ)型-1番艦
  • 水無月 (初代神風型駆逐艦) - Wikipedia

    水無月(みなづき)は日海軍の駆逐艦。初代神風型駆逐艦の27番艦である。同名艦に睦月型駆逐艦の「水無月」がある為、こちらは「水無月 (初代)」や「水無月I」などと表記される。 艦歴[編集] 1907年(明治40年)2月14日 - 三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造、竣工。 1924年(大正13年)12月1日 - 駆逐艦から掃海艇へと類別変更。 1928年(昭和3年)8月1日 - 変更に伴い、「第十号掃海艇」に改称する。 1930年(昭和5年)6月1日 - 除籍、「廃駆逐艦第十号」へと仮称。 7月3日 - 廃船。 1931年(昭和6年)5月28日 - 売却され、高知県で漁礁として海没。 艦長[編集] ※『官報』に基づく。階級は就任時のもの。 駆逐艦長 東島乙吉郎 少佐:1907年1月18日 - 1907年7月1日 加々良乙比古 大尉:1907年7月1日 - 9月28日 原

    水無月 (初代神風型駆逐艦) - Wikipedia
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    みなづき,神風(かみかぜ)型(初代)-27番艦
  • 水無月 (睦月型駆逐艦) - Wikipedia

    水無月(みなづき)は、日海軍の睦月型駆逐艦6番艦[2]。艦名は旧暦の6月に由来し、日海軍では1907年(明治40年)竣工の初代神風型駆逐艦・水無月に次いで2隻目[3]。1927年(昭和2年)に第28号駆逐艦の艦名で竣工した[4][5]。日軍のガダルカナル島撤退後にソロモン海の戦線に投入され、多くの輸送作戦を成功させた。1944年(昭和19年)6月、ダバオ沖で米潜水艦ハーダーの攻撃により沈没した。 艦歴[編集] 建造~太平洋戦争開戦まで[編集] 1923年度の大正12年度艦艇補充計画艦[6]。1924年(大正13年)11月10日、浦賀船渠で建造する一等駆逐艦に第28号駆逐艦の艦名が与えられ、艦艇類別等級表に登録された[6][7]。 1925年(大正14年)3月24日に起工、1926年(大正15年)5月25日に進水[1][8]。1927年(昭和2年)3月22日に竣工し、佐世保鎮守府に配属

    水無月 (睦月型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/08
    みなづき,睦月(むつき)型-6番艦
  • 満潮 (駆逐艦) - Wikipedia

    50口径12.7cm連装砲 3基6門 25mm機銃 II×2 (または13mm機銃 II×2) 61cm4連装魚雷発射管 2基8門 (九〇式魚雷16) 九一式爆雷×36 満潮(みちしお / みちしほ)は、日海軍の朝潮型駆逐艦3番艦である[3]。1937年(昭和12年)10月に竣工した[4]。1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦でスリガオ海峡に突入し、米艦隊の雷撃を受けて沈没した。 艦歴[編集] 建造~開戦、2度の大破[編集] 1935年(昭和10年)9月28日、藤永田造船所で建造する駆逐艦が満潮と命名された[1]。11月5日に起工[2]、1937年(昭和12年)3月15日に進水[2][5]。10月31日に竣工し[2]、 朝潮、大潮と第25駆逐隊を同日編制した。11-12月にかけて中支方面で活動し、帰投後に佐世保海軍工廠で蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。 19

    満潮 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/08
    みちしお,朝潮(あさしお)型-3番艦
  • 三日月 (睦月型駆逐艦) - Wikipedia

    三日月(みかづき)は日海軍の駆逐艦[1]。一等駆逐艦睦月型(卯月型)の10番艦である[2]。艦名は旧暦3日の月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「三日月」に続いて2代目。 艦歴[編集] 1923年(大正12年)度計画艦。1925年(大正14年)2月16日、佐世保にて建造予定の睦月型駆逐艦は「第三十二号駆逐艦」と命名される[3]。なお同日附で妙高型重巡洋艦「足柄」と「羽黒」も命名されている[4]。同日附で「足柄、羽黒」は一等巡洋艦に、「第32号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別された[5]。 「第32号駆逐艦」は佐世保海軍工廠で同年8月21日起工、1926年(大正15年)7月12日進水、1927年(昭和2年)5月5日に竣工[6]。佐世保鎮守府に所属した。1928年(昭和3年)8月1日附で「第32号駆逐艦」は「三日月」と改名された[1]。「三日月」、「菊月」、「望月」、「夕月」の睦月型4隻で第23駆逐

    三日月 (睦月型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/08
    みかづき,睦月(むつき)型-10番艦
  • 松風 (2代神風型駆逐艦) - Wikipedia

    松風(まつかぜ)は、大日帝国海軍の駆逐艦[1][2]。 概要[編集] 一等駆逐艦「松風」は[3]は神風型(2代目)の4番艦である[4]。当初の艦名は第七駆逐艦[5][6]。続いて第七号駆逐艦[6][5]。 この名を持つ日海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「松風」[7][8][9]に続いて2隻目。 太平洋戦争開戦時、旧式化していた神風型4隻(松風、春風、朝風、旗風)は第五水雷戦隊所属の第5駆逐隊を編制しており、フィリピン攻略戦や蘭印作戦に従事[1][10]。1942年(昭和17年)3月に第五水雷戦隊が解隊されると、第5駆逐隊は南西方面で船団護衛任務に従事した[1]。1943年(昭和18年)2月25日、第5駆逐隊は解隊[10][11]。横須賀での修理を終えた艦はソロモン諸島に進出すると、外南洋部隊増援部隊の僚艦(浜風、磯風、時雨、夕凪)等と共に、ニュージョージア島の戦いやブーゲンビ

    松風 (2代神風型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/06
    まつかぜ,神風(かみかぜ)型(2代目)-4番艦
  • 松 (松型駆逐艦) - Wikipedia

    松(まつ)は大日帝国海軍の駆逐艦[2]。松型駆逐艦(一等駆逐艦松型)(丁型)の1番艦[3][4]。 日海軍の艦名としては樺型駆逐艦「松」[5]に続いて2代目である[6]。舞鶴海軍工廠で1943年(昭和18年)8月上旬から1944年(昭和19年)4月末にかけて建造された[1]。起工から竣工まで約8ヵ月であった[7]。竣工後、小笠原諸島や硫黄島方面への護衛任務に従事する[8]。同年8月4日、小笠原方面船団護衛中に米軍機動部隊の水上艦艇(巡洋艦、駆逐艦)と交戦、撃沈された[9](スカベンジャー作戦)[10]。竣工してから約3ヵ月の艦歴であった[8]。 丁型駆逐艦[11]の第5481号艦として舞鶴工廠で建造された[12]。 1943年(昭和18年)8月8日[7]、起工[13][注 1]。 同年12月22日、命名[2]。同日付で艦艇類別等級の「駆逐艦一等」の部中に松型が新設され、その1番艦に定め

    松 (松型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/06
    まつ,松(まつ)型-1番艦
  • 槇 (松型駆逐艦) - Wikipedia

    1944年(昭和19年)2月19日[24]、仮称第5488号艦として[25]、舞鶴海軍工廠で起工[26][注 1]。 6月5日、建造中の駆逐艦や海防艦と共に命名される[6]。同日付で駆逐艦3隻(杉、槇、樅)は松型駆逐艦に類別される[28]。6月10日、「槇」は進水した[29]。 7月1日、日海軍は、駆逐艦「村雨」水雷長[30]、軽巡洋艦「北上」水雷長[30] 等を歴任した石塚栄少佐(当時、軽巡洋艦「矢矧」水雷長[31])を槇艤装員長に任命する[32]。同日附で、舞鶴海軍工廠の槇艤装員事務所は事務を開始した[33]。 8月10日、就役[34][35]。艤装員事務所を撤去した[36]。石塚少佐も制式に槇駆逐艦長(初代)となる[37]。主な初代幹部は、航海長・大山雅清中尉、砲術長・宇田広美大尉、水雷長・芦田森一大尉[37]。 1944年(昭和19年)8月10日の竣工と共に、訓練部隊の第十一水雷

    槇 (松型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/06
    まき,松(まつ)型-8番艦
  • 舞風 (駆逐艦) - Wikipedia

    舞風(まいかぜ/まひかぜ)[1]は、大日帝国海軍(日海軍)の駆逐艦、陽炎型駆逐艦(一等駆逐艦陽炎型)の第18番艦である[2]。ミッドウェー海戦では第4駆逐隊僚艦と共に南雲機動部隊旗艦/空母「赤城」を雷撃で処分した。1944年(昭和19年)2月、トラック諸島沖でアメリカ軍艦隊の砲撃によって戦没した(トラック島空襲)。 艦歴[編集] 竣工まで[編集] ④計画、仮称第114号艦として藤永田造船所で建造開始。1940年(昭和15年)4月22日起工[3]。 1941年(昭和16年)2月5日、「舞風」と命名され[1]、一等陽炎型として登録される[4]。 同年3月15日進水[3]。 日海軍は4月10日附で、神風型駆逐艦7番艦「疾風」艦長[5]、吹雪型駆逐艦5番艦「叢雲」艦長[6]等を歴任した中杉清英中佐を、舞風艤装員長に任命する(後任の叢雲艦長は東日出夫少佐)[7]。4月18日、藤永田造船所に艤装

    舞風 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/06
    まいかぜ,陽炎(かげろう)型-18番艦
  • 帆風 (駆逐艦) - Wikipedia

    帆風(ほかぜ)は、日海軍の駆逐艦。峯風型の12番艦。艦名は船の帆にはらむ風を意味する。 艦歴[編集] 舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。 1922年(大正11年)12月、同型艦「羽風」、「秋風」、「太刀風」とともに第四駆逐隊を編成し、第一水雷戦隊に編入された。 1933年(昭和8年)3月3日に発生した昭和三陸地震のとき、「帆風」は第四駆逐隊の上記僚艦と青森県の大湊要港部にあり、ともに出航した。「帆風」は岩手県の久慈で救援にあたった[1]。 太平洋戦争では南方で哨戒、海上護衛作戦に参加。 1943年(昭和18年)7月1日、「帆風」は船団護衛中にマカッサル海峡でアメリカ潜水艦「スレッシャー」の雷撃で損傷し、マカッサルで応急修理後10月18日までスラバヤで修理を行った。 1944年(昭和19年)7月6日、「帆風」はアメリカ潜水艦「パドル」の雷撃により、セレベス海サ

    帆風 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/06
    ほかぜ,峯風(みねかぜ)型-12番艦
  • 芙蓉 (駆逐艦) - Wikipedia

    芙蓉(ふよう)は、日海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の7番艦である。 艦歴[編集] 1922年(大正11年)9月 進水 - (藤永田造船所建造) 進水時の名称は「第十六駆逐艦」。 1923年(大正12年)3月16日 - 竣工 1924年(大正13年)4月1日 - 「第十六号駆逐艦」に艦名変更。 1928年(昭和3年)8月1日 - 「芙蓉」に艦名変更。 1937年(昭和12年) - 日中戦争に参戦。華南沿岸の諸作戦に参加。 1941年(昭和16年) - 駆逐艦籍のまま太平洋戦争に参戦。船団護衛、哨戒作戦に従事。 1943年(昭和18年)12月20日 - 船団護衛中、マニラ湾口で米潜水艦パファーの雷撃で2が命中し戦没。 歴代艦長[編集] ※『艦長たちの軍艦史』380-381頁による。 艤装員長[編集] 柏木英 少佐:1922年9月20日 - 1923年3月16日 駆逐艦長[編集] 柏木英 少佐:

    芙蓉 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/04
    ふよう,若竹(わかたけ)型-7番艦
  • 冬月 (駆逐艦) - Wikipedia

    冬月(ふゆつき)[5][6] は、日海軍が太平洋戦争後半で運用した駆逐艦[7]。秋月型駆逐艦の8番艦である[8]。 秋月型は、この冬月以降で船体各部形状の簡略化・艦橋の大型化などの変更が加えられたため[9]、冬月型として区分する分類法もある[10][11]。 艦名は片桐大自の研究によれば「冬の月」[12]。 艦名は「つ」に濁点が付いたものが、海上自衛隊の護衛艦「ふゆづき」に継承された。 概要[編集] 一等駆逐艦冬月(ふゆつき)は[6]、日海軍が舞鶴海軍工廠で建造した秋月型駆逐艦[8][13]。 1943年(昭和18年)5月8日、起工[13]。1944年(昭和19年)5月25日に竣工して[13]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した[7]。 6月末から7月初旬にかけて[7]、第五艦隊各艦とともに小笠原諸島および硫黄島方面への緊急輸送作戦に従事した[14][15]。 7月中旬には[7]、軽巡

    冬月 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/04
    ふゆづき,秋月(あきづき)型-8番艦
  • 文月 (睦月型駆逐艦) - Wikipedia

    文月(ふみづき)は日海軍の駆逐艦[1]。睦月型駆逐艦の7番艦である[2]。艦名は旧暦7月のこと。同名艦にロシアからの戦利艦である山彦型駆逐艦の「文月」がある為[3]、こちらは「文月 (2代)」や「文月II」などとも表記される[4]。 艦歴[編集] 1923年(大正12年)度計画艦。1924年(大正13年)10月20日、藤永田造船所で起工。当初の起工予定日は11月10日であったが、工事上の都合により変更された[5]。11月10日、制式に「第二十九号駆逐艦」と命名される[6]。同日附で一等駆逐艦に類別[7]。 1926年7月3日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。1928年(昭和3年)8月1日附で「文月」と改名された[1]。 太平洋戦争[編集] 太平洋戦争開戦時、「文月」は姉妹艦「皐月」、「水無月」、「長月」と共に、引き続き第22駆逐隊を編制していた[8]。 フィリピン攻略戦、ジャワ島攻略戦、バ

    文月 (睦月型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/04
    ふみづき,睦月(むつき)型-7番艦
  • 吹雪 (春雨型駆逐艦) - Wikipedia

    吹雪(ふぶき)は、大日帝国海軍の駆逐艦。春雨型の6番艦である。 艦歴[編集] 呉海軍工廠で建造され、1905年(明治38年)2月28日に竣工した。第3艦隊に所属し、日露戦争では日海海戦に参加した。その後1912年(大正元年)8月28日には、三等駆逐艦に類別される。 その後1924年(大正13年)12月に除籍され、1926年(大正15年)5月に廃船処分となり解体された。その後、1928年(昭和3年)に就役した特型駆逐艦の「1番艦」に艦名が引き継がれている。 艦長[編集] ※『日海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。 駆逐艦長 東島乙吉郎 少佐:1905年12月12日 - 1906年1月25日 和田博愛 大尉:1906年1月25日 - 4月1日 (兼)田中芳三郎 少佐:1906年4月1日 - 5月10日 (兼)高島万太郎 中佐:1906年5月10

    吹雪 (春雨型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/04
    ふぶき,春雨(はるさめ)型-6番艦
  • 吹雪 (吹雪型駆逐艦) - Wikipedia

    吹雪(ふぶき)は、大日帝国海軍の一等駆逐艦[2]。吹雪は吹雪型(特型)駆逐艦の一番艦で[3]、同時に「雪級」の一番艦[4]。この名を持つ日海軍の艦艇としては2隻目である(初代は春雨型駆逐艦の吹雪)。 吹雪は1942年10月11日のサボ島沖海戦で沈没し、吹雪型は「白雪型駆逐艦」と改名された[5]。その後、「初雪型駆逐艦」として再登録された[6]。 第35号駆逐艦の艦名は、既に浦風型駆逐艦浦風で使われていた[7]。 吹雪は舞鶴工作部で1926年(大正15年)6月19日に起工[8]。6月25日、浦賀船渠で建造の駆逐艦に第三十三号駆逐艦(望月)[9]、艦に「第三十五号駆逐艦」、佐世保海軍工廠の駆逐艦に第四十号駆逐艦(東雲)の艦名が与えられる[10]。同日附で「第33号駆逐艦、第35号駆逐艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別[11]。「第35号駆逐艦」は1927年(昭和2年)11月15日に進

    吹雪 (吹雪型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/03/04
    ふぶき,吹雪(ふぶき)型-1番艦
  • 響 (吹雪型駆逐艦) - Wikipedia

    12.7cm50口径連装砲3基6門 13mm単装機銃2挺 61cm3連装魚雷発射管3基9門 最終時(推定)[1] 12.7cm50口径連装砲 2基4門 25mm3連装機銃2基 同連装機銃1基 同単装機銃17基 61cm3連装魚雷発射管(九三式魚雷発射可能)3基9門 三式爆雷投射機1基 響(ひびき、響[2])は、日海軍の駆逐艦。特型駆逐艦の22番艦(特III・暁型の2番艦)である。この名を持つ日海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「響」に続いて2隻目。 太平洋戦争で戦火により3度の甚大な損傷を蒙ったにもかかわらず沈没せず、終戦まで生き残った強運ぶりと活躍から「不沈艦」[3]、「不死鳥」[4]、「戦争を生きのびる運命の艦」[5]などと形容された。 舞鶴工作部で1930年2月21日起工され、1933年3月31日竣工し[6]、第六駆逐隊に編入された。 1934年11月から「暁」、「雷」、「

    響 (吹雪型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/02/24
    ひびき,吹雪(ふぶき)型-22番艦
  • 檜 (松型駆逐艦) - Wikipedia

    40口径12.7cm単装高角砲 1基40口径12.7cm連装高角砲 1基25mm連装機銃 4基25mm単装機銃×12基61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2(二式爆雷×36発) 檜(ひのき)は、大日帝国海軍の駆逐艦[3]。 松型(丁型)の16番艦である。日海軍の艦名としては2代目[4](初代は二等駆逐艦「桃型」3番艦「檜」)[5]。 太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)9月末に竣工し、輸送作戦に従事する空母の護衛を幾度かおこなったあと、フィリピンに進出した。1945年(昭和20年)1月7日夜、ルソン島西岸リンガエン湾でアメリカ軍上陸船団を護衛する駆逐艦複数隻と交戦し、「檜」は撃沈された[6][7]。 艦歴[編集] 建造[編集] 駆逐艦檜(ひのき)は、丁型駆逐艦の仮称艦名5502艦として横須賀海軍工廠で建造[4]。 1944年

    檜 (松型駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/02/24
    ひのき,松(まつ)型-16番艦
  • 春月 (駆逐艦) - Wikipedia

    65口径10cm連装高角砲 4基8門 25mm機銃 3連装5基 同単装機銃24挺 61cm4連装魚雷発射管 1基4門 (九三式魚雷8) 九四式爆雷投射器2基 爆雷投下軌条2条 九五式爆雷 54個 春月(はるつき)は、日海軍の駆逐艦で[5]、秋月型駆逐艦の9番艦。 艦名は片桐大自の研究によれば「春の月」の意味[6]。 概要[編集] 一等駆逐艦春月(はるつき)は、日海軍が佐世保海軍工廠で建造した秋月型駆逐艦[7]。 秋月型の第2グループとして冬月型に分類する分類法もある[8]。 1944年(昭和19年)12月28日に竣工後[5]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された[7]。 1945年(昭和20年)1月20日に第一護衛艦隊麾下の第百三戦隊が新編されると[9]、「春月」は同戦隊の旗艦となった。第百三戦隊は第一護衛艦隊の僚艦と共に、黄海~朝鮮方面の護衛任務に従事した[7]。終戦後、「春月」は

    春月 (駆逐艦) - Wikipedia
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    mforce4 2013/02/22
    はるつき,秋月(あきづき)型-9番艦
  • 春雨 (白露型駆逐艦) - Wikipedia

    春雨(はるさめ)は、大日帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦白露型の5番艦である[3]。艦名は春に静かに降る雨に由来し、この名を受け継ぐ日の艦艇としては、春雨型駆逐艦「春雨」に続き2代目に当たる[4]。 戦後、海上自衛隊の護衛艦として「はるさめ(初代)」、「はるさめ(2代)」が就役した。 舞鶴工作部で1935年(昭和10年)2月3日に起工[5]。同年9月21日に進水した[5]。1937年(昭和12年)8月26日に就役した[5]。 竣工当初はウェスティングハウス社製の溶接構造の減速機室と減速歯車を備えていたが、試運転の際に減速歯車に亀裂が発見されたため、姉妹艦と同型の鋳鋼製の減速機に交換された[6]。 この作業のため、姉妹艦に比べ就役が大幅に遅れた。 1940年(昭和15年)10月11日、第2駆逐隊(村雨、夕立、春雨、五月雨)は紀元二千六百年記念行事に伴う観艦式に参加、第二列(長門、陸奥、伊勢、

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    mforce4
    mforce4 2013/02/22
    はるさめ,白露(しらつゆ)型-5番艦