計画経緯 本型は、「陽炎型」「夕雲型」が「甲型駆逐艦」と、「秋月型」が「乙型駆逐艦」と呼ばれるのに対して、「丙型駆逐艦」と呼ばれました。 軍令部は、米太平洋艦隊との艦隊決戦において、水雷戦隊による襲撃を重視していた為、艦隊型駆逐艦の整備に躍起になっていました。 日本の駆逐艦に求められる最も重要な能力は、この軍令部の要求から察することが出来ます。 それは、重雷装であることでした。 このコンセプトに基づいて、日本海軍は着々と艦隊型駆逐艦を整備して来ました。 まずは「朝潮型」が建造され、続いて「陽炎型」「夕雲型」の「甲型駆逐艦」が完成します。 これら一連の艦隊型駆逐艦は、世界最強の重雷装駆逐艦として完成し、日本海軍の艦隊決戦思想の一翼を担うに足る、極めて優秀な駆逐艦でした。 もちろん海軍は彼女たちの出来に非常に満足し、その性能に絶大な信頼を寄せていました。 しかし、非の打ち所がなかった訳ではあり