. 狂気のイメージを喚起する力において優れたシークエンスの各々が、物語の合理主義の中に回収され「終わる」必要はないのに。 . だが、「それは夢だ」の鶴の一声で、非合理が変わらない日常に組み込まれる悲劇で世界が終わっているのにそれでも素晴らしい、という夢のような夢もある。村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や、押井守『ビューティフルドリーマー』がそうだ。こういうのはまずない。無いからこその夢か。NHKで放送していた『ブルー、もしくはブルー』の最後はどうなったのだろうか。これは民放だが、好きで毎週チェックしていた『神はサイコロを振らない』にしても、録画することは録画したのだけれど、最終回は結局見ていない。 402便の中で、「奇跡」は起きたのか。 夢オチの、それもかなりセンチメンタルに傾いた奇跡で過去未来、夢現、語り手聞き手が結ばれそうな嫌な予感がして僕は見ることができなかっ
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