タグ

文学に関するmhkのブックマーク (5)

  • Untitled Document

    文学における双子 その広大なイメジャリー 0. はじめに ドイツは18世紀において、プレ・ロマン主義として勃興した文芸思潮「シュトルム・ウント・ドランク期」を代表するクリンガーの作品に、王家に生まれた双子の兄弟争いを扱った『双子』(1776年)がある。そして、この悲劇に対する従来の解釈に対する不満が、そもそも「文学における双子」のテーマをここ10年間研究課題として取り上げてきた直接の動機である。すなわち、『双子』に対する従来の研究は、時代精神と絡めた登場人物の憂的気分や主人公グエルフォの強力な個性、あるいは近代的な疎外を問題としてきた。しかし、この作品をより深く理解するためには、登場場面が少なく一見影響力が微弱に思えるその兄フェルディナンドとの双子としての関係を抜きにしては語れない。封建制における家督権や名誉を巡っての双子の兄弟関係を解釈の中心に置くべきなのである。 これを契機に「やはり

    mhk
    mhk 2006/06/14
  • ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー6: ラオスー

    前回までのお話 ↓ ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その2 ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その3 ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その4 ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その5 ■コポンチの帰還 ネチケットの墓地を後にし、無断リンク戦線跡地を通り過ぎたコポンチと翁は、股ぐらの虚無がその存在を強烈にアピールしはじめたため、さらに旅を急ぎました。すると、地平線の向こうにやっとお城の姿が見えはじめました。さらに近づいてみると、何やら異変が起こっているようでした。お城の周りには無数のツタのような植物が、建物全体を取り囲むように複雑に絡みつき、このままではお城を突き崩してしまいそうな勢いでした。そしてこの謎の植物の周りにはナタをもった家来たちが必死になって除草作業をしていました。 コポンチは聞きました。 「これは一体

  • ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その5: ラオスー

    前回までのお話 ↓ ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その2 ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その3 ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その4 ■母との別れ メタの森を出たコポンチたちは、もと来た道をたどってお城へ帰ることにしました。お城へ帰るには恐ろしい脊髄反射の沼をもう一度通らなければならないのですが、コポンチは全然怖くなく、かえって心が躍りました。なぜなら命の恩人である沼地の母に再び会えるからでした。先ほどあったろくでなしのメタの賢人に腹を立てていたコポンチも、沼地の母のことを思うと怒りも収まってくるように感じられました。 沼地につくと、コポンチは早速沼地の母に挨拶をしようと思いました。しかし、いくら探しても沼地の母は見つかりません。 「どうしたんでしょうか?どこかへ出かけてしまったんですかね?」 コポンチは翁に聞き

  • ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その4: ラオスー

    前回までのお話 ↓ ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その2 ネバー・エンディング・ブログ・ストーリー その3 ■脊髄反射の沼とコポンチの危機 正論港を出発したコポンチと翁は、何日も何日も歩いて、ようやく脊髄反射の沼にたどり着きました。この沼を越えれば、メタの賢人が住むメタの森はもうすぐそこです。しかし、コポンチは沼のかもし出す何となく薄気味悪い雰囲気に尻込みしました。沼には船も無ければ橋もかかっていません。ここを進むものは自分の足だけで進まなければならないのですが、この沼のそこの見えない濃い緑色のぬるぬるした水面といい、時折沼のそこから溢れ出す気色の悪い泡といい、とても率先して足を突っ込みたくなるような沼ではありません。 コポンチが第一歩を踏み出しかねていると、翁がいつになく厳しい顔でたずねてきました。 「コポンチ、君はこの沼の秘密を知っ

  • 枡野浩一のかんたん短歌blog 【日記帳から】村上春樹と安原顯

    « 「ドラえもん短歌」第1次入選者決定!&最終締切(3月末日)まであとわずか! | トップページ | 「失恋論」 » 2006.03.24 < 【日記帳から】村上春樹と安原顯 > 某月某日 朝、目がさめて、 やっぱり「文藝春秋」4月号の 村上春樹原稿 『ある編集者の生と死 〜安原顯氏のこと』は、 じつに巧みで読ませるけれど、 唾棄すべき最低の文章だと思うに至った。 皆さんも読んでみてください。 生原稿を売ることはいけないことだ、 という反論されにくい「常識」をたてに、 もう口がなくて反論できない 故人の仕事と人格を貶め、 今までのヤスケン(安原顯)による 村上春樹批判を すべてチャラにしようとする試み。 じつに卑怯者。 あとだしジャンケン。 流出の事実関係は、 ヤスケンも(最初の)古屋も故人になっていて、 真の意味では確認しようがないというのに。 ただ単に故人に「常識」がなくて、 俺が受

    mhk
    mhk 2006/03/30
  • 1