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2006年5月22日のブックマーク (2件)

  • 「藪の中」 〈読み〉の多様化とそのルーツ

    1:〈読み〉の多様化 大正十一年(一九二二年)一月の「新潮」に発表された芥川の短篇『藪の中』は、おそらく、彼の作品の中で最も多様な〈読み〉が提出されてきた作品です。 とりわけ、藪の中で起こった殺人事件についての犯人探しについては「百家争鳴」とも言える様相を呈しており、多襄丸犯人説(福田恒存氏など)、真砂犯人説(大里恭三郎氏など)、武弘犯人説(大岡昇平氏など)それぞれに優れた推理が発表されてきているだけでなく、それに従って作品の〈読み〉も多様性を増してきています。 また、最近ではインターネット上にも『藪の中』関連のサイトが設けられ、犯人探しに留まらず、そこから作品の新たな一面を照らし出すような、斬新な視点からの〈読み〉も発表されてきています。 これらのことから、まず、『藪の中』は読むものに独自の〈読み〉を求めさせずにはおかない、不思議な魅力を持った作品である、とまとめることができると思います

  • 夜中にぼくは台所で、詩人に話しかけられたのだった

    朱雀正道 homepage sujaku ぼくは、きょう、こんなことをおもうんだ。 え、知らなかったよ、谷川俊太郎さんは93年「断筆宣言」をして、以来ずっと詩を書いてなかったんだ!?? するともしかして詩集『世間知ラズ』が最後だったのかな・・・とおもうと、ぼくは人ごとながらなんだか身につまされるような気になるのだった。 そう、それは元旦の新聞で知ったこと。・・・「断筆中は俳句の会などに参加して世界を広げたが、『詩人であることから逃れられないし、書いてないと落ち着かない」・・・と、記事はつたえるのだった。そりゃ、そうでしょう、1952年21歳で詩集『二十億光年の孤独』で、さっそうとデビューしてから谷川さんは、言葉にまつわるありとあらゆる仕事を手がけながらも、つねにかっこいい・・・透明な、結晶のような・・・詩を書き続けてきた人なのだもの。そしてそこには「永遠の少年」みたいな感じもずっとあって。