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ブックマーク / dot-hack.hatenadiary.org (3)

  • リアクション地獄の果てから - A Road to Code from Sign.

    関係ないけど、ブログという場所では、読者が増えれば増えるほど、相互に矛盾した要求や感想が寄せられることになる。マスメディアだって同じなのだろうけれど、彼らはその矛盾をこれまでの慣行とカネの出所というロジックでもって無視することが可能だったりする。動機付け一が問われるネットの個人メディアだと、割とその辺をついて動機を削いでしまうのは容易い。情報戦という観点から言えば、エントリの量と質で勝負すれば、リアクションにおけるS/N比はかなりの程度改善できる。ただ、情報戦そのものの動機付けはそこからは導出できないわけで、そこから先はネットワークというか、日々興味をそそられる情報にどの程度アクセスできているかということなのだと思う。 特に大事なのはネット以外の情報で、とにかく自家中毒を起こしがちなアクション−リアクションの応酬に対して、現場の知恵なり文脈の違う場所の現実なりをインクルードするのはすごい

    リアクション地獄の果てから - A Road to Code from Sign.
    mic1849
    mic1849 2008/05/18
    '特に大事なのはネット以外の情報で、とにかく自家中毒を起こしがちなアクション-リアクションの応酬に対して、現場の知恵なり文脈の違う場所の現実なりをインクルードするのはすごい大事'
  • 反証の作法 - A Road to Code from Sign.

    先日、とあるを立ち読みしていて、あまりの出来の悪さに頭を抱えた。同時に、ネット時代になって「データを用いて文章を書く」ことの問題も痛感させられた。そのでは、著者が取り上げた分野について論じているもののうち、こちらの議論は根拠のない決めつけで、あちらの議論にはそれを覆すデータがある、といったことがこれでもかと並べられている。その膨大なデータ量は、反論の材料としては十分すぎるほどで、普通に見れば「よく調べたなあ」と言ってもらえるものだろうと思った。 では何がダメなのか。要は、著者が批判している議論より、自分が出してきた議論の方が信頼に足るという根拠が、どこにも示されていないからだ。確かに、データがないものよりはデータがあるものの方が信頼性はあるだろう。では、そのデータがねつ造だった場合には?著者が言っているのは、あちらの人はこう言っているが、別の人はこう言っている。自分は後者の言うことの方

    反証の作法 - A Road to Code from Sign.
    mic1849
    mic1849 2008/04/18
    (2)-(4)は専門外向け(でも内容を検討できる素養がないと実際には辛い.現物にたどりつくまでの敷居も高い).(1)はもう専門家しかできない/元の本はどういうものなのだろう
  • 文系学問の「科学性」 - A Road to Code from Sign.

    正直、突っ込もうかどうか悩んだというのもあるのだが。 周知の通り、はてな界隈には(俺を含め)情報技術者とか理系大学生が結構いるのだけど(以下略) ほとんどはてブで突っ込まれてしまっているので特に言うことはない。が、この辺の断絶というのは、ステレオタイプ化しているだけに意外に根深い。実際には、理系といっても工学と医学では大きく違う(最近は両者の架橋も進んでいるのだけれど)。まして数学あたりになると、領域が理系なだけでディシプリン的な部分は人文系に近い。 他方、この手の「理系コンプレックス」「文系コンプレックス」の根っこにあるのは、実は文系の方の問題。工学やプログラムの連中に言わせれば、世の中を仕切っている「ブンケイさん」のおかげで、自分たちの仕事は正当に評価されていない、まともな予算配分がなされない、このままでは世界に後れをとる一方、ということになる。だが、文系の中でも特に哲学や文学などの人

    文系学問の「科学性」 - A Road to Code from Sign.
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