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minorityとgenderに関するmic1849のブックマーク (5)

  • CA953 – 同性愛関係コレクションは是か否か:公共図書館サービスと選書方針 / 岸美雪

    同性愛関係コレクションは是か否か−公共図書館サービスと選書方針−「利用者のニーズと社会の動きとに図書館は無関係ではいられない」と言えば,誰しも総論では納得することであるが,米国で人口の10%が直面しているとされる同性愛のこととなると,米国の図書館でも反応はさまざまである。 同性愛(ゲイ,レスビアン)の動きは,1969年のストーンウォールの反乱以来,顕在化してきたばかりでなく主張をもちはじめた,と言われている。このことはこのテーマを扱う資料数にもあらわれてきている。1969年以前には,関連する新聞は20紙以下,関連する図書も500タイトル以下とみられていたものが,1989年では300紙以上の新聞,9,000タイトル以上の図書が出版されているといわれる。 その一方で,このテーマに関する資料の収集は十分とはいえない,という指摘がなされている。1988年に行われた同性愛に関する出版物リストからの3

    CA953 – 同性愛関係コレクションは是か否か:公共図書館サービスと選書方針 / 岸美雪
    mic1849
    mic1849 2008/09/03
    '図書館サービスが及んでいないグループへのサービス提供という理想と,どのようにおりあっていくのだろうか'.
  • こぼれおちたのは、異性愛か。それとも同性愛か。 - hituziのブログじゃがー

    韓国に留学していたとき、感動してよんだ文章を紹介します。 ハン・チェユン 2003 「ある非異性愛者、異性愛を問う」『当代批評』夏号(22号)、352-365。 ハンさんは、1998年の2月に『バディ(Buddy)』という同性愛専門誌を創刊した。2004年の12月に24号を最後にして、もう刊行されていないという。だが、韓国性的少数者文化人権センターは まだ健在だ。また、ひきつづき同性愛専門出版社「ヘウル」を運営している。 きょうは、そんなハンさんの文章を紹介しながら、わたしも異性愛について、ちょっと かんがえてみたい。 異性愛者たちが「自分を定義すること」に没頭したりはしないというのは、よくしられた事実だ。そのため わたしたちは、とてもマジメに「異性愛の正確な意味はなんだろう?」と質問を なげかけても、かんたんに こたえを きくことはできない。(354ページ)。 よくある表現を かりれば、

    こぼれおちたのは、異性愛か。それとも同性愛か。 - hituziのブログじゃがー
    mic1849
    mic1849 2008/07/22
    'はなす側と きく側の位置が固定的であれば、それは対話ではない。対話ではないなら、なにを かえることができようか'
  • 「私はムスリムであり、イマームであり、そしてゲイである」〜『A Jihad for Love』より - HODGE'S PARROT

    ドキュメンタリー映画『A Jihad for Love』(愛のためのジハード)で、イスラムと同性愛を描いたペルベス・シャルマ/Parvez Sharma がデモクラシー・ナウ!に出演した。シャルマ氏は現在ニューヨークを拠点に活躍しているジャーナリストだ。そして彼自身、ゲイでありイスラム教徒である。 “A Jihad for Love”: New Film Explores Challenges Facing Gay Muslims Worldwide [Democracy Now!] このインタビューで何よりも注目したのは、『A Jihad for Love』に登場する、ゲイであることを公言している南アフリカのイマーム(イスラム教指導者)の存在だ。彼の名前は Muhsin Hendricks。次のようなやりとりが放映されている。 MUHSIN HENDRICKS: God is every

    「私はムスリムであり、イマームであり、そしてゲイである」〜『A Jihad for Love』より - HODGE'S PARROT
  • 2008-05-10 - ひびのこと

    百万遍で某学会。だめ。わたしも含めて(ちょっと反省)あそこにいた人みんながそれぞれの立場でだめ。ある立場を批判したレポもあってあのことはあのことでもちろんだめだけど(レポ書いた人もだめ。書くならどんなにひどくても最後までいなかったのは失敗だと思う。あと、細かいけど重要な事実や文脈を排除してあるところもちょっと気になる。もちろんそんな事実や文脈を考慮しなければ誤解されるような発言がいろんな人が集まる会場でなされたのは問題)、わたしは別の立場の人たちも同じようにだめだと思う。ところで、多くの人はなんであんなに「BL」や「腐女子」に対して肯定的(というか距離が取れない)なんだろうか。自分が「リベラル」であるという振る舞いができるから? もちろん評価できるところもあるけど、わたし自身はある点が気になって、どうしても諸手を挙げて評価することができない。 というか評価を保留しているようなところがある。

  • 誰が痛むのか? - 泣きやむまで 泣くといい

    政府の仕事、民間の仕事 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080420/p1 昔、この組織と関わりがあったのである。複数の職員さんにお世話になった。だから、最近の動向を心配している。 例の知事は支持率がまた上がったらしい。彼が自らの「信念」を貫きとおしさえすれば、周囲はみんな「抵抗勢力」とされていくのだろう。同じような構図をうまく活用した首相もいた。彼の「天然」なのか「策略」なのかは、知らない。 大多数の一般市民にとって、行政なんて少しばかり小さくなったって、どうってことないものなのだ。「みんなで少しずつ痛みを」なんて、できっこない。政府が単純に小さくなれば、特に分配が必要な者から苦しむことになるのは当然ではないか。「自分は払うばかりで受け取っている実感がない」から「税金が無駄遣いされている」と短絡する人々には、「再分配」の必要なんて、ほとんど理解されていな

    誰が痛むのか? - 泣きやむまで 泣くといい
    mic1849
    mic1849 2008/04/21
    「『無い』ことは責められるが、『在るが、力は無い』ことは責められない」最も困窮している人が利用できないもの,それはセーフティネットではない
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