津幡町河合谷地区の上河合区の旧小学校前に建つ「禁酒の碑」は、1926(大正15)年に当時の河合谷村長であった森山忠省(もりやま・ちゅうしょう)氏の提唱で、老朽化した河合谷小学校の改築費45,000円を捻出するため、村をあげての禁酒が実施され、それを知らせるために建てられたものです。村民が毎日酒を飲んだつもりで5銭以上貯金し、予定通り費用を工面しました。校舎の完成後も、禁酒は20年間にわたって続けられました。当時の新聞で報道されると、多くの激励と賛辞が寄せられ、海外からも取材がくるほど話題になりました。 村の長老によると、当時どうしても飲みたい人は、村の外である興津(津幡町中心部に向かう峠を越えたところにある集落)まで行っていたそうです。また、村に8軒あった酒店は、禁酒によって自主廃業したそうです。 石碑は当初、村の入口である大海川(おおみがわ)に架かる濁澄橋(にごりすみばし)に建っていまし