詳しくは書かない。詳しくは書けない。 自殺の多くが、実際には、意識内の他者性の分裂で、その他者から死を命じられるものではないかと、ちと書いた、その補足。 人の意識というのは無意識の大海を小舟のようにたゆたっているように私は思う、というか、私は自分の意識の大半は無意識だと思うし、無意識というのは身体(内臓とかも)の意識でもあるし、それは私の祖先たちがある意味で生きて意識している場でもあるとは思う。まあ、キンモーなこと書いているようだが、これは慣れるととても自然なもの。 ほいで、意識を静かに見ているというか、静かでなくてもいいのだけど、意識のなかで、抑鬱、嫌悪、恐怖、孤独、悲痛、自己憐憫、といったある感情=存在があるとき、それは意識のなかで、自我意識がそれを対象化していることの告知として現れる。 ところがこうした初存在はある気分のようなものに包まれていて、まあ、ハイデガーのいう気分とは存在なの