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2019年5月10日のブックマーク (2件)

  • 揮発性の高い会話をする人 | いわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン「いごく」

    文:岡 映里 医事漫談家のケーシー高峰さんが平成31年4月8日にお亡くなりになりました。享年85。 私とケーシーさんは、2011年の震災をきっかけに出会いました。2013年からは週刊大衆の連載『グラッチェ哉人生』の構成担当として公私にわたってお世話になっていた私に、追悼文を書いてみないかと「いごく」編集部の小松さんが声をかけてくださいました。 願ってもない機会ですし、私が見たケーシーさんについて書いてみたいと思いました。ですが、この4年間について振り返ると、驚くほどきれいに「エピソードにできるイイ話が残っていない」ことに気が付きました。 たいてい80代で死ぬような人は、若輩の者に「人生訓」めいたものを残したりする場合が多いような気がするので、ケーシーさんの場合もそんな発言を記憶の中から引っ張り出してきて重石に使えば、追悼文は完成するだろうと思いました。でも、よく思い返してみても、それがない

    揮発性の高い会話をする人 | いわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン「いごく」
    miholovesq
    miholovesq 2019/05/10
    “聞く人の心の中に言葉が変に重たく残らない、揮発性の高い言葉だけを紡ぐ人” 憧れる。カラッとした気持ちのいい追悼文だった。
  • 「日本語も母語も中途半端」そんな子どもたちのために。大泉の「ブラジル人学校」23年間の軌跡|ニッポン複雑紀行

    群馬県大泉町は人口に占めるブラジル人の割合が全国1位のブラジルタウンとして知られている。1990年、三世までの日系人らに就労制限のない在留資格が認められると、かつて海を渡り南米の大地で暮らした日人の子孫が「デカセギ」として相次いで来日、現在約4300人のブラジル人が暮らす。全人口に占める割合はおよそ1割だ。 ブラジルレストランやスーパー、旅行代理店、海外への送金会社…。町にはポルトガル語の看板が並び、日語を話さなくてもある程度の生活が可能な基盤が整っている。 生活基盤の重要な一翼を担うのが、ポルトガル語で子どもたちを教育するブラジル人学校だ。1990年代後半、言葉の問題やいじめから日の公立学校に馴染めないブラジルの児童、生徒らの不就学が社会問題化し、相次いで設立された。 尽力した1人が現在もブラジル人学校「日伯(にっぱく)学園」を経営する高野祥子さん(73)。13歳だった1958年、

    「日本語も母語も中途半端」そんな子どもたちのために。大泉の「ブラジル人学校」23年間の軌跡|ニッポン複雑紀行
    miholovesq
    miholovesq 2019/05/10
    “人に教えるということはまず何よりも自分が理解しないといけませんから。高校生たちは小学生から「先生、先生」と言われることで、責任感が生まれ自分たちが真剣に勉強するようになったのです。”