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2019年1月23日のブックマーク (2件)

  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note
    mikiponnsuke
    mikiponnsuke 2019/01/23
    改善策、対処法はどうあるべきなのだろうか。兄弟格差に気付いた周囲の人間(祖父母、教師、友人、友人の親等々)はどうすればよいのだろうか。適切なフォローとは何なのだろうか。その点、もっと議論されるべきでは。
  • 「できない」が存在しない世界。 - 日々、思うこと、考えること。

    今日もいつもの愚痴の羅列だ。とりとめもない。 世の中には、ハウツーがあふれている。ライフハックも、経験者の知恵や工夫もネットにあふれている。ITや工業技術も発達している。医療も発達している。 だから、というべきか。 「できない」とあきらめて「逃げる」「避ける」という選択肢をしてはいけないような社会の雰囲気を私は感じる。 人の10倍100倍の努力や我慢の先に「できる」が存在するのであれば、それが正解だ、と人は言う。 できないこと、実現不可能なことは、絶対にある。 あるけれども、「できない」が通用しないことも、ある。 できなくはないけれども、人の何倍もの時間を要して初めて「できる」こともたくさんある。 いつも思う「できる」人は「できない」が理解できないのだ。 子供を産んだけれども、育てられない。うまく育てられない、は通用しない。 専業主婦(主婦)だけれども、家事・育児ができない。一人りで滞り

    「できない」が存在しない世界。 - 日々、思うこと、考えること。