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2019年8月24日のブックマーク (2件)

  • 5歳と3歳の子供を妻に連れ去られた父親の叫び(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

    海外からみれば「日は連れ去りを容認している国」 子育て中心の人生を送っていた男性が去年12月、から5歳と3歳の子どもを連れ去られた。男性は子どもを連れ去られる理由はないとして、共同監護などを求める審判を申したてたものの、現在も子どもとの生活は戻っていない。今年6月にはから単独親権を求める離婚裁判を起こされ、現在係争中だ。 この男性のように、や元から子どもを連れ去られて、事実上の生き別れになってしまう父親は、日では珍しくない。逆に、夫から子どもを連れ去られる母親もいる。その背景には、日が「単独親権」を原則としている点がある。裁判所は「単独親権」を前提にしながら、多くは連れ去った親に有利な運用をしているのだ。 しかし、「単独親権」を採用している国は先進国にはない。子どものために「共同親権」を認めるのが一般的で、日は連れ去りを容認している国として国際的に非難されている。国連子ど

    5歳と3歳の子供を妻に連れ去られた父親の叫び(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
    mikiponnsuke
    mikiponnsuke 2019/08/24
    子供を連れて行かなければ「捨てた」とみなされるからなのでは。母親だったらなおさら。
  • 「仕事のできない人」は会社から排除される。けれども、社会は「働かない人」に寛容ではない。 - 日々、思うこと、考えること。

    昨日、こんな記事を目にした。 blog.tinect.jp そこで、こんなコメントを残した。 「仕事ができる人」は「仕事ができない人」を会社から排除する。けれども、一方で、仕事ができないがゆえに「稼げない」「働けない」「働く意欲が持てない」人間は社会からも排除されるんですよねぇ。 これは私の個人的な感想だ。確かな文献もなければ、はっきりとした数字もない。けれども、どうしてもそう思えてならないことがある。 それは、 「仕事ができない人(能力的な理由だけでなく、物理的な理由であっても)」を直接的、間接的に退職に追いやる人(実際には行動に移さずとも、心の奥底では退職してほしいと常日頃願っている人も含め)の姿と、「専業主婦」や「生活保護受給者」などの「(無理をすれば)働けるのに、働かない人」を批判する人の姿は、うまい具合に重なり合っているのではないか。 と言うことだ。 理由は以下の通りだ。 「仕事

    「仕事のできない人」は会社から排除される。けれども、社会は「働かない人」に寛容ではない。 - 日々、思うこと、考えること。
    mikiponnsuke
    mikiponnsuke 2019/08/24
    人は無意識(時には意識的)に「仕事をの出来ない人」もっと言えば「生産性がない人」を自分のテリトリーから排除したがる。けれども、自分のテリトリー外の「仕事のできない人」が働かないのは許せない。