言葉に関するmillenaryのブックマーク (2)

  • 痛いニュース(ノ∀`) : 【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚本家・山田太一氏

    【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚家・山田太一氏 1 名前:諸君、帰ってきたで?φ ★ 投稿日:2008/02/05(火) 23:42:49 ID:???0 頑張れば何でもできると思うのは傲慢 山田太一 氏 「あきらめるな」とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしてないじゃないですか。 人間は、生まれ落ちた時からものすごく不平等なものです。国籍も容姿も選べない。 親も子供も選べない。配偶者だって、2、3の候補の中から選ぶのがせいぜいで、 それでもいいくらいのものでしょう?つまり限界だらけで僕らは生きてい

    痛いニュース(ノ∀`) : 【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚本家・山田太一氏
    millenary
    millenary 2008/02/07
    「成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしてないじゃないですか」#阿刀田高も「詭弁の話術」という本で同じようなこと言っていた
  • 伊集院光 - Wikipedia

    1984年(昭和59年)7月、不登校を案じられて、叔父の知り合いである「吉河さん」[注 2]の紹介で、圓楽一門の三遊亭楽太郎(のちの六代目・三遊亭円楽)に弟子入りし、三遊亭楽大を名乗った。卒業間近の3年次の2月に高校を中退している[注 3]。 初高座は1985年(昭和60年)9月10日、寄席若竹で演目は「釜泥」[3]。 師匠には内緒で、当時ニッポン放送ディレクターだった安岡喜郎に「伊集院 光」と名付けられ[4]、ラジオ番組に出演を始める一方、1988年に二つ目に昇進し、同年には第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人落語大賞)選に、「子褒め」で出場している」[5][6]。楽太郎から伝授された噺は40から50以上あり、『笑点』の「若手大喜利」にも出演したことがある。 ラジオ(ニッポン放送時代:1987 - 1995年)[編集] 1987年(昭和62年)、兄弟子であった石田章洋[注

    伊集院光 - Wikipedia
    millenary
    millenary 2008/02/05
    談志がゲスト出演した際に、このエピソードを話したところ、「辞める理由が見つかってよかったじゃねぇか。本当の所はその理由かもしれないけど、本当の本当はただ辞めたかったからなんだよ。」と返された。
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