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  • グーグルの一ページ目を巡る闘争。人脈SEOという問題。 | ブログ運営のためのブログ運営

    金持ちが金を稼ぎまくれば、必ず貧困層にも金が回って豊かになるという意見がある。 いわゆるトリクルダウン理論である。 竹中直純は東京プラスと未来検索ブラジルの取締役であり、ニワンゴ設立時の取締役でもある。 おそらくはソーシャルスキルの天才である。 かなり多くの会社の取締役をやってるから、人たらしの能力は桁外れであろうし、度外れに目ざといタイプだと思われる。 竹中直純は渋谷の麻生邸の近くに住んでいる。 出身は福井であり、実家はあまり金持ちそうでもないから、まさに成り上がったのである。 トリクルダウン理論に従うなら、竹中直純が稼げば稼ぐほど貧困層も豊かになるはずである。 だが竹中直純という人脈の天才の恩恵を受けているのは、竹中直純周辺に限られる。 普通のネットユーザーから見れば、未来検索ブラジルの活動に困っているわけだ。 竹中直純の周辺に富が集中しているだけで、それが吐き出されてこない状態と考え

  • 馬鹿にされて怒る人間はいない | ブログ運営のためのブログ運営

    この世に生きていて難儀なのは、他人を馬鹿にするのが合理的であることだ。馬鹿にされて怒る人間はいないわけである。尊重されるとたいてい怒るわけだ。丁寧に接するというのは「相手を立てる」ことだからクレーマー化することがままあり、どうしても(合理的に行動するなら)他人を馬鹿にするしかないのである。あなたの人生経験、自分自身や他人の言動の観察を含め、馬鹿にされて怒っている人間などいなかったはずである。激怒しているのは例外なく、尊重されている人間である。尊重されてない人は怒らない。パワハラされて怒り狂って上司の顔面を叩き潰す人間が100人に1人いるなら、パワハラはないに違いない。パワハラを100人にやれば(期待値として)鼻骨がひしゃげ前歯が全損し顔面麻痺の後遺症が遺るとしたら、誰もパワハラをしないだろう。身分制度において、下の人間は決して怒らない。奴隷は一片たりとも尊厳が残らないように蔑まれ馬鹿にされ

  • 西村博之の妻子が発覚 | ブログ運営のためのブログ運営

    現在の2ちゃんねるはJim親子によって運営されているわけだが、Ron(CodeMonkey)の彼女の写真を持ってると西村が示唆。 http://sweet.2ch.sc/test/read.cgi/patisserie/1397733789/128 128 :ひろゆき@どうやら管理人 ★:2014/04/17(木) 20:58:36.11 ID:??? >>106 サイトを作ってた証拠として、 モデルをRonの彼女にしようって話があって、 彼女の写真を持ってますよ。 Ronに許可貰えれば写真は出せますよ。。と。 これに対しRonは自らのツイッターであっさりと彼女の写真をアップした。 西村のつまらない脅しが頓挫したのである。 その後、名無しさんが、西村博之の女の実名を書いた。 Jim側の誰かがリークしたのだろう。 結婚しているかどうかは判然としないが、この女のSNSから、二人の子どもと思われ

  • ネルソン・マンデラの死。人類救済という理想の終わり。 | ブログ運営のためのブログ運営

    世界から大きな物語が消えつつあることは散々指摘されている。大きな物語の終わりとはなんぞやと考えると、その根幹は人類を救済するという思想の終焉なのである。キリストが人類救済の世界宗教を提唱してから、われわれはずいぶん人類救済を試みてきたはずだが、その少なからずは侵略や虐殺や思想弾圧であった。20世紀の共産主義は唯物論によって地上の楽園を作り、すべての人類を救済するはずだったが、無惨な結果に終わったのは言うまでもない。 人類を救済するという思想は、キング牧師やネルソン・マンデラのように実を結んだこともあるが、もはや行き詰まっており、人類全体を救済する思想(狂気)はもう誰も唱えていない。そこそこ人権思想が浸透し、それが一段落ついたので、個々人が生き残るゲームに関心がシフトしている。今の世の中はカンダタが蜘蛛の糸を登り切れる時代なのである。「蜘蛛の糸」はカラマーゾフの兄弟にも似たような話が出てくる

  • 「試験に出る」という価値基準 | ブログ運営のためのブログ運営

    最近神経症という言葉をほとんど聞かなくなった。DSMの用語(たとえば強迫性障害)が使われるようになったというのもあるが、そもそも神経症自体が減っていると思われる。神経症とは、真面目な人間がさらに真面目になろうとする力学で発生する。一昔前は、真面目であればあるほど望ましいという風潮があったのだ。今日では真面目さより温厚さが評価される。真面目さというのは、頑固さ・気性の激しさ・思い込みの激しさ・視野の狭さを含んでいるので、今日では忌避される。今日では、真面目な人間は、その真面目さの度合いを下げることが求められ、空気を読んで柔軟に物事を見るように努力する。それによって厳格さは低減することになるから、厳格さによって発病する神経症にもなりづらい。われわれはそういう時代の価値基準に従って存在しているのである。 現世に生きるわれわれ空蝉は他人から評価されるために生きているのである。それにより時代に取り込

  • ジョブズは創業者だから自由に独裁できただけなんで | ブログ運営のためのブログ運営

    時々「なぜ日にはスティーブジョブズが生まれないのか(日の大企業の社長はジョブズのようになるべきだ)」みたいな論調を見受ける。これはとてもおかしな意見である。ジョブズは創業者だから好き勝手できた。ビルゲイツでも、ラリーペイジでも同じことである。Facebookのザッカーバーグでも創業者だから好き勝手に出来ただけだ。Amazonのジェフベゾスも同じである。 IBMとかヒューレット&パッカードみたいな歴史の長い企業は、ソニーやパナソニックとたいして変わらない。アメリカにはイノベーションがあるというが、そんなことはない。平社員として入社して、出世して社長になるという人間はアメリカでも駄目なのである。 そもそもジョブズはノースキルである。プログラム出来ないし、エンジニアとしても三流、アーティストを気取っているが自分でデザインしてるわけではない。そういう人間がアップルを世界最高の企業に出来たのは、

  • 岩崎夏海は知能指数100未満 | ブログ運営のためのブログ運営

    もはや人類愛の時代は終わったのである。誰もが手を繋げるという共産主義は破綻した。共産主義の根底にあったのは、高知能と低知能の断絶を埋めることである。高知能が低知能に慈悲を持ち善導するということなのだ。これが破綻したのは言うまでもない。高知能が低知能に人類愛を注ぐというのは、それこそ傲慢なのだ。知性の違いによる断絶は避けられないのだから、埋める必要がないし、断絶したままでいいのである。 世界はグローバル化されており、あらゆる格差が世界に根を張り広がっている。かつて知能指数を問うのはタブーであり、現在でもそれはそうなのだが、そろそろ言うべきなのだろう。知能の格差による断絶というのは覆い隠せない。 「あいつはコミュ力がない」と気軽に言うのが自由なら、知能指数100未満を名指しすることも自由になるべきである。現時点ではそうなっていない。「あいつは知能指数100未満」と指摘しようものなら、重大な人権

  • Winny金子さんの死を津田がスルーしてるけど | ブログ運営のためのブログ運営

    豚小屋から産まれた津田大介はゴミ。 Winnyの金子さんが心筋梗塞で亡くなったわけだが、津田はこれに言及してない。津田は視野が広いんで、物事を「広く浅く」見ており、とても平均的に振る舞う。これが日人的には受け入れられたのだろう。Winnyについては触れない方が平均的な正解ということなのだろう。もしくはフォロワーから「触れないんですか」という意見が多ければ、軽めにツイートして宣伝RTで流すくらいはするかもしれない。ともかく、そういう平均的な落としどころを常に探っているゴミなのである。 発達障害の分野で有名な杉山登志郎医師は、発達障害を発達凸凹と呼ぶことを提案しているが、津田はそういう凸凹がないのである。だから大人気になるのだ。 金子さんの心筋梗塞という死因は何とも言えない。自殺なら心不全と言うことが多いので、たぶん当の心筋梗塞で倒れたのだろう。最高裁で無罪になったので、第一線に復帰してい

  • 進撃の巨人は寓話性がないので再読がきつい | ブログ運営のためのブログ運営

    進撃の巨人を再読しているのだが、かなりきつい。 初読の時はあれだけ面白かったのに、二度目はクソつまらない。 新しい発見が何もないのである。 結局、この作品の質は「不意打ち」なのである。 サプライズだけの漫画。 いきなり巨人が襲ってくるホラーとして傑作なのだ。 振り向くと巨人がいるみたいな怖さがこの作品の肝なので、二回目に読むと、全然ギョッとしないのだ。 最初はとてもスリリングなのに慣れると面白くないというのは遠い昔バイオハザードというゲームで経験した。 やり始めの頃は、当にビビりながらプレーしていたのだが、慣れてくると、作業でお使いするだけのゲームになる。 進撃の巨人は寓話性がない。 壁の向こうに巨人がいる、というのがカフカ的な、もしくはエヴァ的なテーマがあると思った人も多いだろう。 われわれは「人間とはなんぞや」と問い掛けてくる作品が好きである。 世界の謎を解き明かすという話は好まれ

  • コミュ力=女という悪魔と会話する能力 | ブログ運営のためのブログ運営

    なぜ最近になってコミュニケーション能力が大事になったかと言うと、答えはとても簡単なのだが、正答を意識している人は少ない。 コミュ力とは女と会話する能力である。 男と女が会話することが必要になってからコミュ力コミュ力と言われるようになったのである。 昔であれば、「女と会話する能力」など問われなかった。 そんなことに長けてるのは人間のクズとされた。 男と女が関わる男女共同参画社会は、決してジェンダーが捨象されたわけではない。 ジェンダーが問われないユートピアになったのではなく、男と女という種類が違う生き物が同居することで、コミュニケーションのコストが増大したのだ。 女がいるからには、女を味方に付けるゲーム(コミュニケーション)をやらなければならない。 女は他力願なゴミであり、嘘泣きで男を翻弄する悪魔である。 このゲームをやるのはコストであり、何らプラスではないのである。 女はこの世界において

  • 低知能に門戸を開く社会 | ブログ運営のためのブログ運営

    法科大学院が完全に失敗に終わりそうである。2011年から、法科大学院に行かなくても、司法試験予備試験を受ければいいということになった。 ここ数十年のトレンドは低知能に門戸を開くことである。明らかに知能が低い人間を、知力が必要であるはずの領域に入れてしまう。これが大学のAO入試くらいだと、何わぬ顔をして卒業してどうにかなるが、司法試験ではそうはいかない。低知能が法科大学院に入ったところで、司法試験に受からなければ意味がない。 知力の格差だけは頑として認めないというゴミが多いようである。容姿、身長、運動能力などは格差が如実だが、知力に関しては、そうでもない。いや、明らかではあるのだが、発達障害という問題がある。たとえば多動性が低いと(知能が低くても)何となく利口そうである。逆に多動性が強いと、知能が高くても馬鹿に見える。知的障害と発達障害を混同しているのだ。知的に障害のある人間が「僕は発達障

  • 東浩紀のゲンロンスクールが集客力不足で閉鎖するらしい | ブログ運営のためのブログ運営

    https://twitter.com/hazuma/status/389813088028860416 https://twitter.com/hazuma/status/389814606832488448 東浩紀のゲンロンというプロジェクトは2010年にスタートしました。 こんな面子で運営されております。 代表取締役 東浩紀 社外取締役 津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト) 社外取締役 福嶋麻衣子(株式会社モエ・ジャパン 代表取締役社長) 監査役   栁田美恵子 五反田に物理的なイベントスペースもある。 たぶん東浩紀としては、ここを拠点に知的サロンみたいなことをやりたかったのだろう。 五反田のゲンロンカフェという物理的な拠点そのものを閉鎖するのか、ゲンロンスクール(という企画)だけ手を引くのか、判然としないが、集客力がないという発言からして、物理的な撤退は時間の問題と

  • 有吉と量産型お笑い芸人 | ブログ運営のためのブログ運営

    有吉が再ブレイクした理由は、「吉の芸人つまらんな~」という視聴者層から支持されたからである。いわば有吉は素人代表のような立ち位置で、吉芸人より素人の方が面白いという暴露的なことをやってのけたのだ。だから人気があり、2ちゃんねるでさえ応援されたのである。2ちゃんねらーはテレビを嫌ってるから、そこのレベルの低い出演者に対抗する有吉がウケるのは当然である。 しかし、有吉は素人代表というトリックスターの立ち位置を放棄した。今ではすっかり量産型芸人と仲良くなっている。量産型芸人とは、おのおのが独自に芸を磨いてきたのではなく、吉その他の芸能事務所の養成所育ちの連中である。勉強が出来ず偏差値の低い人間が、お笑いタレントに活路を見いだそうという、そういう流れである。このダメな連中で競い合えばいいというハードルの低さがある。 芸人がわれわれからバカにされるとすれば、「素人でもこれくらい面白い人は普通に

  • 今さらドストエフスキーの面白さがわかった | ブログ運営のためのブログ運営

    昔はドストエフスキーのどこが面白いのかさっぱりわからなかった。カラマーゾフの兄弟とか罪と罰とか一通り読んだのだが、一欠片も興味を惹かれなかった。世界的な名作だとされているからやむを得ず文字の上に目を走らせて「完読」しただけである。何の共感も出来ないし、ストーリーもつまらないし、分厚いだけでクソなを読まされたという作業感が昔の印象である。 ところが、最近ドストエフスキーの作品を買い直して再読してみると、やたらと面白いのである。これが世界的な名作とされるのも納得である。昔のわたしにはさっぱり理解できなかったことが、現在ではようやく理解できるようになった。ドストエフスキー作品には「きっと何者にもなれないおまえたち」がたくさん出てくるが、昔はそれがあまり理解できなかった。ヒーローやロックスターになれるのは極めて例外であり、「何者にもなれない」というのが人生の実情だと理解したことで、ドストエフスキ

  • 身長が低いなら偉そうに振る舞う必要がある | ブログ運営のためのブログ運営

    有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。 民法 2 債権法 第3版 - 我 榮 ¥ 2,310 - 数量: 1 単行 - 新品 販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc. 華族―近代日貴族の虚像と実像 (中公新書) - 小田部 雄次 ¥ 987 - 数量: 1 新書 - 新品 販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc. 死の家の記録 (新潮文庫) - ドストエフスキー ¥ 788 - 数量: 1 文庫 - 新品 販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc. よく「腰が低い」という褒め言葉がある。 だが、これで褒められるのは、ハイスペックな人間だけだ。 ハイスペックであるにも関わらず腰が低いから尊敬されるのであり、ロースペックで腰が低いのは蔑まれるだけである。 つまり「腰が低い」という美徳を実践出来るのは、

  • 宮台真司と肉体コンプレックス | ブログ運営のためのブログ運営

    宮台真司は男性には珍しく言語流暢性がかなり高い。まったくよどみなく喋ることが出来るのだ。宮台はよく「上祐にそっくり」と揶揄されるが、男性に珍しい言語流暢性の持ち主として共通点があるからだろう。男性で天才型というと、たとえばビートたけしのように、一度頭の中で溜めてから言葉にする人が多い。考えてから言葉にするまでワンクッションある。たけしが頭の中で閃いてから、それが言葉に変換されるまで、われわれ視聴者は待つわけである。吃音は男性に多い障害だが、ビートたけしは吃音になりやすいタイプだと言える。三島由紀夫は「金閣寺」において吃音という障害をとても効果的に扱った。金閣寺の実在の放火犯が吃音なので、小説金閣寺の主人公が吃音だというのは三島の創作ではないが、吃音という障害を、内面世界と外面世界のズレの問題として描き、世界文学の最高傑作を生み出したのである。内面世界でもがいているうちに、外面世界に辿り着け

  • 宮台真司は三月生まれ、東浩紀は五月生まれ | ブログ運営のためのブログ運営

    宮台真司と東浩紀というと、よく知らない人には見分けが付かない。 だが、このふたりのパーソナリティーはかなり違うわけだ。 中身は似ても似つかない。 これだけ人格が違う人間がいるのか、と思うくらいだ。 これは生まれ月の差だと思われる。 宮台は3月3日生まれである。東浩紀は5月9日生まれである。 宮台は麻布から東大というコースなので、三月生まれでも勉強に問題がなかったタイプだが、運動音痴でコンプレックスがあったという発言は見たことがある。 というより、宮台の運動コンプレックスは明らかである。 早生まれは強制飛び級のようなものである。 宮台の場合、勉強での飛び級は問題ないだろうが、ゴミの肉体で飛び級させられるのは体育で地獄だったはずだ。 4-6月生まれだと、幼少期に成功体験が多く、1-3月生まれだと失敗体験が多いと言われる。 小さい頃の一年の開きというのは、相当なものだから、これは当然だ。 東浩紀

  • 早生まれがADHDと診断される問題 | ブログ運営のためのブログ運営

    アレン・フランセスは「正常を救え」というの中で、ADHD診断の濫用に警鐘を鳴らしている。 彼はDSM-Ⅳの作成委員長であり、こういう診断の世界的権威なので、書いてあることは確かである。 学級崩壊がおしなべて医療の対象になり、だれかれかまわずADHDの診断がくだされ、現在では信じがたいことに、10パーセントの子どもがADHDだと見なされている そして早生まれだとADHDと診断されやすい、という問題があるという。 とりわけ不穏な事実がわかっている。子どもがADHDと診断されるかどうかは、生年月日と深く関わっているという事実である。12月31日時点の年齢によって学年が変わるという理由だけで、12月生まれの男児は1月生まれの男児よりリスクが70パーセント高くなる。クラスで最も幼くて、最も発育の遅い子どもはADHDの診断をずっとくだされやすい。この誕生日効果は女児にもほぼ当て嵌まる。幼い故の未発達

  • 津田がサンデーモーニング出演で左翼発言し始めたらしい | ブログ運営のためのブログ運営

    津田大介「安倍首相の今日の予定は赤坂の天ぷら屋で支援者らと会だそうです」 - Togetterまとめ 記録的な大雪の中で、安倍晋三が天ぷらをべていたというのを左翼系の人間が批判しているが、津田もその一員になったようだ。 津田大介はロンブー淳に伍するようなソーシャルスキルがあるが、いかんせん凡人の度合いが強すぎるし、津田の社会活動もロンブー淳の社会活動と同レベルであり、双子のような存在だ。 無教養が社会活動ごっこしてるだけである。 その津田が先日のサンデーモーニングに出演したらしい。 津田は当たり前のことしか言えない人間だが、空気は読めるので、TBSに出演できたことを取っ掛かりに成り上がろうと考えたのだろう。 津田は空気を読んで合わせていく軟体動物のような人間であるから、左翼に媚びた方がいいと判断したのだ。 津田やロンブー淳は、ソーシャルスキルだけはすごい高いので、成功するために生まれて

  • メスの相手は津田に任せておけばいい | ブログ運営のためのブログ運営

    SNSとは要は、ソーシャルセックスである。 男だけで集まるツールだったら、絶対にブームになってない。 男女でワイワイやる空間としてSNSが求められた。 もちろん出会いの側面が強くなると、警察が取り締まろうとするから、極力そこは隠蔽するのだが、SNS男女が出会う場所である。 ソーシャルという言葉は、ほぼソーシャルセックスと言い換えて差し支えない。 たとえばニコニコで馬鹿騒ぎしている連中も異常だとは言い切れない。 年齢層が低いので、表面を取り繕う気がないから異常に見えるだけで、もうネットは男女でワイワイする場でしかない。 そういうのが正常になったのである。 人間にはそれぞれ役割というものがある。 そして時代性の中で、それを担うのである。 人には得意不得意があり、時代性の中で寵児となることもあれば、淘汰されることもある。 底辺ライターだった津田大介が成り上がれたのは、ソーシャルの時代になったか