ブックマーク / ukdata.blog38.fc2.com (168)

  • 奴隷が自殺したら困る | ブログ運営のためのブログ運営

    なぜ自殺してはいけないのか、という理由はたいてい嘘が述べられている。 当の理由は、奴隷が自殺したら困るからである。 全員が貴族とか、全員がエリートという社会はあり得ないので、底辺は必要なのである。 もちろん奴隷的労働は誰でも出来るから、かけがえのない存在とは言えないし、ある程度過労死するのも折り込み済みではあるが、そうかと言って、大量に死なれたら困るのである。 権力者が自殺を禁止するのは当然であると言える。 負けたから自殺というのでは、ゲームが成り立たない。 敗者が隷属してこそゲームなのである。 隷属の義務を怠り、自殺されるとなると、勝者の意味が無くなる。 自殺とは隷属義務の放棄に他ならず、これは禁止されなければならない。 命が大事という決まり文句にも疑問がある。 そもそも人間は寿命で死ぬことになっている。 どうせ死んで無になるということから考えると、当に命が大事かどうかは怪しい。 自

  • 有村悠さんは、本当に女にモテたいのか | ブログ運営のためのブログ運営

    有村悠さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。 ロシア 苦悩する大国、多極化する世界 (アスキー新書) Kindle版 販売: Amazon Services International, Inc. ¥ 741 ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢 (中公文庫BIBLIO) Kindle版 販売: Amazon Services International, Inc. ¥ 399 ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書) Kindle版 販売: Amazon Services International, Inc. ¥ 741 暗殺国家ロシア?消されたジャーナリストを追う? Kindle版 販売: Amazon Services International, Inc. ¥ 1,280 有村さんは、女にモテることばかり考えている人間とされる。 確かに女の話ばかり

  • 存在は生まれた時代に拘束される | ブログ運営のためのブログ運営

    1899 川端康成 1901 佐藤栄作 1906 朝永振一郎 1907 湯川秀樹 1918 福井謙一 1921 南部陽一郎 1925 江崎玲於奈 1926 小柴昌俊 1928 下村脩 1930 鈴木章 1935 根岸英一 1935 大江健三郎 1936 白川英樹 1938 野依良治 1939 利根川進 1940 益川敏英 1944 小林誠 1959 田中耕一 1962 山中伸弥 団塊世代は非常に人口が多い世代でありながら、ノーベル賞受賞者が0である。ノーベル賞受賞者の大半は戦前の教育で育っており、戦後となると、1959年生まれの田中耕一を待たなければならない。団塊世代は大学紛争に明け暮れたが、ゲバ棒を振り回し、掛け声は勇ましいものの、機動隊が学生を殺せるわけがないという確信が前提になっており甘えていた。気で共産主義に身を投じて政府転覆を狙ってるわけではないから、血で血を洗う当の殺し合い

  • 「ネット弁慶」は東浩紀のことだろ | ブログ運営のためのブログ運営

    https://twitter.com/hazuma/status/402308365952368641 最近のネットにおいては、素人ブロガーが絶滅危惧種となっている。かつては「真性引き篭もり」のような素人ブロガーが多大なアクセスを得ていた。彼の極端な視野の狭さや、一点だけに執着し激昂し、常軌を逸した長文を書くのはアスペルガーなのだろうし、決して彼の書いている内容は公平ではないが、それでも視野狭窄ならではの鋭い観察眼で人気を集め、万単位のアクセスがあったのである。 真性引き篭もりは今でもブログを書き続けているが、もう終わった存在である。ブログが読まれるには、ある程度の市場が必要である。競争相手がいなければ自分のブログで多大なアクセスを独占出来るというわけではなく、文化的な盛り上がり(それによるアクセスの環流)が必要なのである。文化圏が成り立たないくらいに寂れると、もうおしまいなのである。は

    mimizukuma
    mimizukuma 2014/05/21
    “今でもブロガーがいるように見えるが、彼らのほとんどは「文化人」である。彼らは実名主義だが、勇敢だから実名を名乗ったのではなく、文化人として売り出したいという意図があるから実名を名乗っている。そして、
  • 東浩紀が元の思想路線に回帰する模様 | ブログ運営のためのブログ運営

    https://twitter.com/hazuma/status/412268338769694721 震災後、ぼくは一種の麻痺状態にあった。仕事に自信がなくなったし、若手がやりたいのであればなんでもいいという冷笑状態にもあった。しかしフクイチ出版で心に区切りができた。批判を怖れずに信念を表明しようと思う。いまの若手ゼロ年代は堕落している。ゼロ年代思想は流を取り戻すべき。 東浩紀が宇野常寛と袂を分かったのは、宇野が勝手に自意識をこじらせた側面が大きく、東の意図ではない。宇野がかなりの運動音痴であることは人も認めており、挙動不審な動作や喋り方も含め、典型的なオタクなのだが、(顔はマズイにしても)長身でスタイルも悪くない。宇野の自意識だと、自分は(他のオタクとは違って)イケてると思っているようだ。かつての教養主義は旧制高校のエリートが童貞をこじらせた文化であり、婚前交渉の禁止が徹底され

    mimizukuma
    mimizukuma 2014/05/21
    “東浩紀が宇野常寛と袂を分かったのは、宇野が勝手に自意識をこじらせた側面が大きく、東の意図ではない。宇野がかなりの運動音痴であることは本人も認めており、挙動不審な動作や喋り方も含め、典型的なオタクなの
  • 宇野常寛の小者臭 | ブログ運営のためのブログ運営

    宇野は分析能力自体はわりとある方で、物語の読み解きも出来るのだが、いかんせん人がゴミ過ぎる。宇野の問題は、自身のアイデンティティーに不安があることである。オタクという下位カーストに帰属していることが耐えられないので、あれこれこじらせている。 宇野はわりと長身である。顔面偏差値は東浩紀といい勝負であり、オタク的な外見ではあるのだが、身長があるので、典型的なオタクより少しはマシな外見である。宇野は運動がまったく出来ないそうで、それでやむをえずオタクになったらしい。彼がオタクであることに始終葛藤を抱えているのは、好んでカースト下位のグループに帰属したわけではないからだ。恥だと思ってるのだ。東みたいに低身長顔デカで顔もまずいとなると、オタクであることへの葛藤がない。東は作品をデータベースとして(オカズとして)消費するタイプなので、中途半端なオタクとなってしまうが、アイデンティティーに葛藤はない。

  • 「人の話を聞かない」という問題 | ブログ運営のためのブログ運営

    「人の話を聞かない」という決まり文句がある。 この命題を文字通りに受け取ると、じゃあ人の言うとおりにすればいいとなるが、決してそうではあるまい。 あなたの父親が、台風のさなかに突然旅行に行くと言い出したとする。 当然ながらあなたは止めるだろう。 台風なのに何を考えているのか、と言うはずだ。 しかしあなたの父親は言うことを聞かず、今すぐ旅行に行きたいのだと主張して譲らない。 これは「人の話を聞かない」の典型である。 この父親の問題はあなたの話を聞かないからではなく、その非常識な衝動性である。 思いついたことに猪突猛進するタイプは、何かに取り憑かれたかのように振る舞う。 デモーニッシュな衝動に乗っ取られたような状態である。 理性が衝動に敗北し、盲いた状態になるのだ。 西村博之、ロンブー淳、秋元康のような反社会的人物は、人の話など聞かない。 好き勝手なことばかりやっている。 しかし彼らは「人の話

  • 文学部不要論がAO入試の原因。なぜ理系も付き合うのか。 | ブログ運営のためのブログ運営

    なんでAO入試がここまで拡大したのか、というと、文学部不要論が背景にある。もしくは文系に価値があるのか、という問題だ。昔は教養主義という文化があり、学問が役に立つかというのは、さほど問われなかった。もちろん文学部だと就職しづらいというのは、大昔からの悩みではあったようだが、それでも教養の価値が信じられていた時代には、文学部も価値が認められていた。就職しづらくても、教養主義のために文学をやっていたのだ。そういう教養信仰がなくなり、文系の学問をやる価値はあるのかと疑問視されて、AO入試は増えだしたのである。青白い顔で文学書を読むのではなく、社会性を高めようということである。 問題なのは、文学部以外にもAOが広まったことだ。早稲田大学に関して言うと、政治経済学部は昔は推薦入試自体がなかった。たしか1990年くらいに、都道府県ごとに三校推薦というのが始まったと思う。社会人入学もその頃に始まっている