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hashigotanの嫉妬心は凄い。おそらく、あの消えたダイアリーの人が、あそこまでブクマを集めなければ、hashigotanもあのようなエントリーは書かなかっただろう。人気があるダイアラーが憎く、羨ましいのだろう。自分はああは成れないから。しかし、その嫉妬心は文学になる可能性がある。猛烈な怒り、羨み、妬み、蔑みによって、hashigotan氏の文章は研ぎ澄まされてゆくのだろう。他人がどう思おうと、自分がどんなに傷つけられようと、ブログを続けていくことだろう。そして、書くことを止めることができないというのは才能だと思う。今後もがんばってほしい。(しかし、hashigotan氏を鼓舞するなら、批判したほうが、本人のためかもしれない。だからみんなもっと批判をしましょう、そういう軋轢がないと、文学は成長しない)
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
弱められた指示概念は意味の文脈依存性をうまく捉えられるか? -----伊藤「浅い」指示論の評価に向けて----(柴田正良) 1. 浅い指示論(theory of shallow reference:TSR)の動機 本稿は、言語における文脈依存性の問題を「浅い指示」という独自の概念装置によって一貫してねばり強く追求してきた伊藤春樹の指示論(TSR)に、現段階で批判的な検討を加えようとするものである。この文脈依存性の問題は伊藤によれば指示ばかりではなく記述や比喩といった現象にも出現するが、それをてっとり早く理解するには、このところ心の哲学でずっと話題に登ってきた信念報告文の例を見るのが最善であろう。例えば、 (1) オイディプスは、イオカステこそ自分にふさわしい妻だと信じていた しかしもちろんオイディプスの悲劇は、彼には分からなかったことなのだが、イオカステが
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 論理実証主義は、経験論にもとづいて形而上学を否定し、実験や言語分析によって厳正さを求める手法である。そこでは、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は聖書のような扱いを受けていた。法実証主義は、この手法をそのまま条文解釈に取り入れようとする。科学的三段論法においては、「AならばBである。BならばCである。よって、AならばCである」という推論がなされる。法的三段論法においては、「AならばBであるべきである。BならばCであるべきである。よって、AならばCであるべきである」という推論がなされる。 ウィトゲンシュタインが語り得ぬものとして挙げた種類のものとして、倫理や宗教、芸術に関する命題があるが、これらはわかりやすい。一見して超越論的な事項だからである。これに対して、論理に関
「言葉は可能世界を創るか?」(三浦俊彦インタビュー) この中で、テキストを解釈する上での3つの立場が出てくる。すなわち、ニヒリズム、相対主義、リアリズム。 ここで出されるのは「三四郎の祖母の血液型は何型か?」というもの。 血液型はどれか一つに決定されると考えるのがリアリズム。いずれかであると考えるのが相対主義。そもそもテクストに書かれていないので血液型なんてないと考えるのがニヒリズム。 ニヒリズムに分類されたら、当の本人はもしかしたら嫌がるかもしれないけれど、中原昌也の作品はそういう作品だと思う。 中原が描くテクストの中には、実在する世界はない。ただ、ひたすら言葉(表象)があるだけ。言葉と言葉の関係が読みどころであって、その言葉によって何が表現されているか(物語や世界)を読もうとしてもうまくいかない。 いわゆるアートの世界も同じようなことが言えるはず。 当初は、何が描かれているか、が問題だ
『ハコヅメ』の泰三子による新連載『だんドーン』がスタートした。日本の近代警察を作った男・川路利良の目を通して幕末から明治を描いていく。 この記事は、いわゆる“新連載開始にあたっての著者インタビュー”ではない。昨年10月から連載開始予定だった『だんドーン』がおよそ8ヵ月遅れた理由を、著者の泰が自らの言葉で語りたい、と提案して生まれた記事だ。 理由となった突然の悲しい出来事について、家族について、日々の生活について、気持ちの変化について──泰がどこまでも正直に、正確に言葉にしていくうちに、作家としての姿勢、また本作にかける熱い思いが見えてくる。 (取材・文 門倉紫麻) 読者の方に、誠意を持って お話ししたかった 「連載開始が遅れた理由について説明する場を持たせていただきたいです、と私から編集部にお願いしました」 この記事は、『だんドーン』の内容や描くきっかけを語る、いわゆる新連載インタビューで
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 「なぜ被告人は殺人を犯したのか」。刑事事件に関する従来の問いは、これに尽きていた。このような観点に固まってしまえば、あとは被告人の動機や生い立ちを細かく分析して、更生と再犯防止の対策を考える方向しか見えなくなる。今でも多くの法律家は、この観点から抜けられていない。 観点を変えてみることとは、主語を変えてみることである。「なぜ被害者は殺されたのか」。もう一歩進んで、「なぜ被害者は殺されなければならなかったのか」。物理的に見れば全く同じ1つの殺人事件が、問い方によって違ったものに見えてくる。「ものは言いよう」という格言は、この上なく正しい。言語化されないものは、人間にとっては端的に存在しない。これは、人間が言語を所有する動物であることの必然である。物理的な物体も、言語によっ
長文になったので、ダイアリーにて書きます。 mindさんの経歴に、恐縮しておりまする。 今、わたくしは、全力を尽くして福田歓一先生の超むつかしい岩波新書を読んでるのでありますっ というのは大袈裟で、一般向けだからなのか、想定外に分りやすい内容で良い教書でありました。青版と黄版と。 自分でたてたダイアリー構想のスケール感にヘタレて、はてブエントリーに目を通すのは後回しになってます。 又まとまれば、アップ&関連サイトをはてブして参ります。 ゲーム理論、論理学は、あまり勉強できてない領域なのですが、 ゲーム理論で『紛争の一般理論』(著者 ボールディング)という本だけがなぜか、うちで長く積ん読状態にて待機していたことを、思い出しました。読んで話題にするには、まだ知識不足で。 提示したアガンベンの話のようなことが、ゲーム理論的にはどう解釈されるかは、わたしには未知数です。 ありそうだけど、実際に扱っ
WEB Davinci Last update 20 Jun,2004. WuƂɂ͏cDɊ҂BvԊO WuguKN̍hɕqȕ|͂ǂꂾHvԊO eWB fڎ҂ɂ͒IŐ}v[gI ̃v`i{ 6/5UP cȐ̖{oł�Â錻݁A ̒{ɂ낢{ɏô͂ȂȂނB vĂǎ҂݂̂ȂɁA_EB`ҏW Acホテル東京銀座 東京都 Anaインターコンチネンタルホテル東京 東京都 Bulgari Hotel 東京都 The Aoyama Grand Hotel 東京都 THE GATE HOTEL 東京 by HULIC 東京都 ウェスティンホテル東京 東京都 キンプトン 新宿東京 東京都 グランドプリンスホテル新高輪 東京都 ザ・キタノホテル東京 東京都 ザ・キャピトルホテル東急 東京都 ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町, ラグジュアリーコレクションホテル 東京都 シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホ
一般的な言語概念 我々は一般的に言語とは記述/記号であると考える。デカルトは内面と外面、つまり心と体をはっきりと区別する。そして内面にアクセスできるのは本人だけである(私秘性)。我々は「痛み」を内的に経験し「痛み」の概念を知る。そして「痛み」という獲得した概念を用いて事態を記述する。言語は感情または感覚を表現する道具である。また「私は痛い」と「彼は痛い」の違いは直接的記述と間接的推測の違いであると考える「痛み」とは自分の直接的体験の名称である。 ウィトゲンシュタインによる言語概念(「規則に従う」) 私的言語とは我々の言語から逸脱したものであるのだから、まず我々の言語とは何という問題を明確にしておきたい。ウィトゲンシュタインによる言語とは共同体の制度・規則の下行われて始めて意味を持つ。(親が子に命名するというのが規則だから親は命名することができる。しかし他人は命名できないのは規則
「探求」における後期のウィトゲンシュタインは、「言語を話すことがある活動の、あるいは生活形式の一部であることを際立たせる」(§23)意図を込めて、「わたしはまた、言語とそれが織り込まれる諸活動の総体も「言語ゲーム」と名づける」(§7)といった。このような永遠の相の下での世界認識の道具としての言語(proposition)という考えを突き崩そうとする(「論考」を論駁しようとする)。彼はそのために、我々の言語使用をその規則(論理)との関係を考え直そうとする。其処で彼が用いるのが、言語とゲームとの類似関係である。 「探求」の言語観によれば、我々の言語使用は全て、複数の人間どうしで行われるゲームのように、人間観の行為として遂行される。この好意は常にそれ自身の規則にのっとってのみ可能になっているのであるが、しかしその規則の限定や批判は、それを行っている個人の内的な了解や、それを第三者的に観察して
事態オントロジー:言語に基づく推論のためのコトに関する基本知識 乾 健太郎 奈良先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 inui@is.naist.jp 1 はじめに 人間に近い高度な言語情報処理能力を工学的に実現 するには,辞書や文法などの言語知識の他に,大量の 世界知識を計算機に与える必要がある.そうした世界 知識には,モノだけでなくコト,すなわち事態に関す る上位下位関係や部分全体関係,因果関係などの知識 が含まれる. 1.1 深い言語理解のための推論 我々が事態に関する知識を使って実現したい推論は 大きく 2 種類ある.一つは,近年研究者の注目を集め つつあるテキスト間の含意関係を認識する推論 [5] であ る.例えば,次の文 (1a) が成り立つならば,文 (1b) が 成り立つ. (1) a. 夏目漱石は明治 39 年の春に『坊ちゃん』を雑誌 「ホトトギス」に発表した。 b.
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」という考え方はとても分かりにくい。つかみ所のないものという感じがする。この難しい概念を理解するために、本質という面からこの対象に近づいたらどうだろうかと考えてみた。どのような対象が「言語ゲーム」と呼ばれ、どのような対象がそう呼ばれないかという、対象がもっている特質がつかめれば、この分かりにくい概念が理解できるのではないかと思った。 対象が単純なものではなく、複雑で難しい場合は、現象として見られるものとその本質とが違っていることが多い。だから、複雑で難しい対象を正確に把握するためには、その対象に関する本質論を考える必要があるのではないかと思う。本質論がうまく立てられるなら、それは対象の理解を深めることになり、教育や学習という面で大きな成果があげられるのではないかと思う。 このようなことを考えて、さて「言語ゲーム」の本質はなんだろうかと考えていた矢先に、参考
ネオは「マトリックス」のことを、現実と思い込んでいました。もったいない話です。夢だから何でもできるはずなのに、それで彼は、平凡な服を着て、普通のサラリーマンなんかをやっていたのです。 . 昔々、「マトリックス」と呼ばれる夢の中で、ネオという男の人が暮らしていました。ネオは、とてもハンサムでした。目立たない格好をしているときの方が目立つような、不思議な存在感のある青年でした。予言者が彼に目をつけたのも、そのせいだと思います。予言者オラクルの目に、ネオの姿は、まるで真珠の上に、ラジウムで描かれたかのように青く、輝いて見えたのでしょう。 オラクルは黒人でした。しかも、おばあさんでした。なので彼女は、トリニティという名の、白人の美女を、ネオのもとに差し向けました。トリニティはネオに教えてあげました。 「ここは、夢の中なの、そしてあなたは、世界の救世主よ」 「はァ?」とネオは答えました。「僕が救世主
このページのノートに、このページに関する要望があります。 要望の要約:「マークアップ」と「マークアップ言語」の使い分け SGMLで定義されたマークアップ言語がオックスフォード英語辞典の電子版を記述するのに利用されている。これによって、HTMLへの変換が容易となるだけでなく、高度なクエリの実行が可能となる。 マークアップ言語(マークアップげんご、英: markup language)は、組版指定に使われる言語と言える[1][2]。視覚表現や文章構造などを記述するための形式言語である。テキストファイルであることが多いが、バイナリデータによる形式もある。 英語の「markup」という語は英語圏の出版業界で著者、編集者、印刷者の間で指示を伝える方法を意味していた(#語源を参照)。
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2010年11月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2015年10月) 正確性に疑問が呈されています。(2015年10月) 出典検索?: "論理哲学論考" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 『論理哲学論考』(ろんりてつがくろんこう、独: Logisch-Philosophische Abhandlung、英: Tractatus Logico-philosophicus)は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの著作。ウィトゲンシュタインが生前に出版したただ一つの哲学書であり、かつ前期ウィトゲンシュタインを代表する著作であ
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