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梅垣先生「現代政治論」第7回・第8回(2005年6/9、6/16)よりメモ (以下は前ふり)『政治』 →社会の希少な資源をめぐる競合 『政策』 →社会の希少な資源が 権威的に配分決定されている ある政策が「受け入れられている」という状況そのものが「権威的にはたらいている」こと ∴ 稼働要件 ↑そもそも近代の政治思想の根幹にあったのは、 「何が何をもって資源配分を権威的なものにしているのか」についての問いだった (→ホッブス:万人の万人に対する「自然状態」にならない仕組み) →政策によって不利益を訴える「抵抗」を排除・抑えるのが可能な「権威」 一定数の「政策への不服従」層があることに対して最終的に政治は「暴力の行使」を留保している (前ふり以上) ↑ちなみに「人間とは理性を持っている存在である」という人間観が前提の発想でもある 【これより本題】 「政治の稼働要件3」より 「配分決定」(:政策
俺は中学生のころいじめをしていた 当時スクールカーストでいうとAランクで、コミュニケーション能力に長けていた俺はクラスの人気者だった クラスで飛びぬけて頭が良かったため、ヤンキーグループからも一目置かれ、お調子者キャラで女子からの人気も高かった クラス替えがあってすぐの話だ そのクラスにはすでに何人かいじめられっこがいて、その中に塾で一緒だったK君がいた K君とは塾ではほとんど話したことがなく、もちろん塾でのK君いじめに参加したことはなかった 毎日先生に簡単な日記を出さなければいけないのだが、ある日K君いじめグループの一人が俺にK君の日記をみせてきた おそらく、みんなで勝手に日記を盗み見て楽しんでいたのであろう その日記の最初のページにK君の筆圧の強い字が並んでいた >今日のクラス替えは最悪だった >なんで先生たちはこんなクラスにしたのかわからない >俺をいじめるやつがそろっている >特に
高速道路で運転していて、降りるはずのインターを思わず通り過ぎてしまった、そんな経験は誰にでもあるはず!? ゴールデンウィークに出現しそうなカーナビ頼みの週末ドライバーはそんなことも多いだろう。高速道路はUターンができず、乗り越した分の料金も取られてしまい、また入り直すのもかなり手間がかかる。 私も泣く泣く次のインターまで走り、一般道を遠回りして目的地まで行った経験がある。果たしてそんなときの救済策はないのだろうか? NEXCO(ネクスコ)東日本お客様センターに問い合わせたところ、とても丁寧に答えいただいた。 「乗り過ごしたときは、次の料金所で係員に伝えていただければ、その分の料金はお支払いいただかなくてもよいように対応させていただきます」 えっ!? 料金を支払わなくてもよいのですか? 「道路状況によっては100%とは申し上げられませんが、現金の方には通行所にスタンプを押す、ETCの方はカー
「久し振り。息災だったかい」 「先輩。まあまあですね。人の矛盾した物言いに怒り狂う日々ですよ。怒るというのは、あれは血圧が上がっていいですね。」 「昔はものに怒らざりけり、か。でもね彰弘君。この世は矛盾する手もある。強いよ。」 「はあ。 ?」 「そのむかし、ゲーデルという先生がいて、いわく、証明したい定理を十分たくさん証明できる公理体系は、矛盾してしまうし、矛盾しないようにつつましく組んだ公理体系は今一つ言いたいことも言えない、手持ちの少ない公理体系になってしまう」 「不完全性定理ですね。教養書で読みました」 「その理屈で考えてみるとこうだ。ある個人が自分の人生や行動や言動を無矛盾に構成しようとすると、持てる定理が少なくなってしまう。実現できる定理が窮屈になる。」 「矛盾しているほうが手広い?」 「そう。無矛盾に組めば、検証可能になり、信頼性と再現性も得られるが、矛盾上等と叫べば手広さとス
ダブルスタンダードという言葉は、どちらかというと否定的に使われることが多いようです。しかし、違うものに対して違う基準を使うことは別におかしくはありません。同じことに対して別の基準を使うことがおかしいというのならば納得がいきます。つまり、非難の目的でダブルスタンダードであるとする主張の背後には、違った扱いをされているものを同じにみなすという考えがあることが推測されます。もう一つ、その違った対応を不満に思っているということもあるでしょうが、これはあえて説明する程でもないでしょう。 逆に、ダブルスタンダードという言葉を肯定的に使っている場合は、同じように見えてもそれは違うものだという前提があるようです。だいぶ前に読んだ本で、大人と子供のダブルスタンダードについて書いてありました。小さな子供は何でも大人の真似をしたがりますが、必ずしも大人と子供は同じではないということを教える必要もあるというもので
もうエイプリルフールは終わりましたけど、なかなかためになる記事がありましたのでご紹介。 相手のボディランゲージや反応から嘘を見破る via How to Detect Lies - body language, reactions, speech patterns 嘘を付くときのボディランゲージ 腕や手の動きといった肉体的表現が制限されて固くなる。手、腕、足の動きが自身の体に向かうようになる。 アイコンタクトを避けるようになる。 顔、のど、口を手で触る。鼻や耳の後ろ側を触ったり引っ掻いたりする。開いた手で胸や心臓のあたりを触れたりはしない。 感情的なジェスチャーと矛盾 感情的なジェスチャーおよび感情のタイミングや継続時間が、標準のペースから外れる。感情の表れが遅れたり、通常より長引いたり、突然止まったりする。 感情的なジェスチャー(表情)と言葉の間にタイミングのズレが生じる。例:贈り物を受
血縁選択説(けつえんせんたくせつ)とは、自然選択による生物の進化を考えるには、個体が自ら残す子孫の数だけではなく、遺伝子を共有する血縁者の繁殖成功に与える影響も考慮すべきだとする進化生物学の理論[1]。これによって、血縁個体に対する利他行動の進化を説明することができる。血縁淘汰説ともいう。 自然選択説によれば、生物は自らの子孫をより多く残すように進化すると予測される。しかし、実際の生物にはしばしば利他行動、すなわち自分の繁殖成功を下げて他者の繁殖成功を高める行動が見られる。とくに顕著なのはハチやアリなどの社会性昆虫などに見られる真社会性であり、この場合には一部の個体(働きバチ、働きアリなど。一般にワーカーという)は全く繁殖せず、他個体の繁殖を助けることに一生を費やす。このような自分の子孫を残さない形質は、自然選択によってすぐに個体群から消えてしまうはずである。 自然選択説を提唱したダーウィ
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 「なぜ被告人は殺人を犯したのか」。刑事事件に関する従来の問いは、これに尽きていた。このような観点に固まってしまえば、あとは被告人の動機や生い立ちを細かく分析して、更生と再犯防止の対策を考える方向しか見えなくなる。今でも多くの法律家は、この観点から抜けられていない。 観点を変えてみることとは、主語を変えてみることである。「なぜ被害者は殺されたのか」。もう一歩進んで、「なぜ被害者は殺されなければならなかったのか」。物理的に見れば全く同じ1つの殺人事件が、問い方によって違ったものに見えてくる。「ものは言いよう」という格言は、この上なく正しい。言語化されないものは、人間にとっては端的に存在しない。これは、人間が言語を所有する動物であることの必然である。物理的な物体も、言語によっ
コミュカードゲーム Subculture GWなので、非コミュ指数テストに続く思いつき企画として、カード運用の雰囲気をどこまで出せるか分かりませんが、コミュカードゲーム「非コミュイズム(仮)」を試しに本当にゲームにしてみました。実際に遊んでないので、面白さやゲームバランスは正直分かりませんが、気が向いたらブラッシュアップするかもしれません。 【カード種類】 ※カードはpdfをダウンロードして印刷してください。 cards20070502.pdf (2007/05/02) [トークカード] i)ノーマル話題カード(ファッション、ミュージック、ムービー、ラブ x15=60枚) 一般的な話題のカードです。同じ話題のカード枚数が多くなっています(=その話題を分かる人が多いということ)。得点計算時、ファッション、ミュージック、ムービーは1枚1点、ラブは1枚2点。 ii)オタク話題カード(アニメ、ゲー
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