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ブックマーク / comnnocom.hatenadiary.org (6)

  • はてブのお気に入りやトップページで見た記事をブクマしようと思わない - 抽斗ドロウアウト

    タイトルの通りですけどそうなんです。 お気に入りの人たちはその人がどんなブックマークしてるかに興味があるから登録しているのであって、ブクマする記事を教えてもらうために登録してるわけじゃない。トップページだって面白い記事はたくさんあるけど、欲しい記事を持ってきてくれるわけじゃない。どれもこれもみんな面白い記事だけど、別に僕がブクマしなくてもみんなブクマしてるんだからいいじゃんと思ってしまう。 だから結局自分で見つけた記事を主にブックマークすることになるのです。 そういう区別はしてるつもりないんだけど、考えてみるとそういうことになるのかな。ブクマ頻度が落ちてることへの言い訳でもありますが。

    はてブのお気に入りやトップページで見た記事をブクマしようと思わない - 抽斗ドロウアウト
    mind
    mind 2007/09/05
    ――「いいな」と思っただけなら、☆だけでいいかもしれない。「いいな」と思った何か を引用/タグ付け/コメントしときたいときにブクマ。
  • 揉め事回避法としての「ブロガー萌え」の限界点をid:ululunさんに見た - 抽斗ドロウアウト

    タイトルはブクマベイティングです。 はじめに、私はid:ululunさんのブログが好きというか、見逃せないというか、そんな風に思っていて、少なくともRSSリーダーから外すということは考えられません。 今回の件を見て思ったことを書きます。 「ブロガー萌え」は受け手にとっての最強の防衛機制 あるブロガーが、自分の考えと相容れないコトを表明した時、大体の人は反感や疑問を抱くでしょう。それが初めて読むブログであり、それ以降もう読まないならそこでおしまいです。ところが、そのブロガーが継続して自分の考えと相容れないことを表明し続けていて、しかもそれが目に入るとなるとこれはうっとおしい。そこで受け手が採る戦略がブロガー萌えです。 「こいつ、訳分からんことばっかり言いやがって。ふざけるな」が怒り 「この人またこんなコト言ってるよ。相変わらずだなあ。」が萌え 精神衛生上の利点はとても大きい。ブロガー萌えは、

    揉め事回避法としての「ブロガー萌え」の限界点をid:ululunさんに見た - 抽斗ドロウアウト
    mind
    mind 2007/01/31
    「ブロガー萌え」は受け手の最強の防衛機制 ――萌えキャラ化されて、空気の間を1人歩き? 自分が傷つかないようにネタにくるむのだけど、ネタ化したために中の人の本意が読みにくく伝わらなくなって…ってジレンマ。
  • “スルー力”の個人的定義とそれに対する立ち位置 - 抽斗ドロウアウト

    どうも「スルー力」という言葉の使われ方が気にわないというか、違和感があるというか、なんかアレなので自分の中のスルー力の定義を書き出してみよう。 スルー力とは 主にウェブ上で 自分に直接影響のないコトやモノに対して 匿名でない状態で 意見や立場を表明することを“あえてしない”能力 一つずつ簡単に説明を。 主にウェブ上で 皆さんご存知のとおりウェブ上で「発言する」ことと「発言しない」ことの間には大きな隔たりがあります。 我々bloggerは書いたことのみで判断されがちなので、何か思うところがあったら書かなければならないような気がしてしまう。しかも書いたことは基的に広大なウェブ全体に公開される。1か0かですね。 この状況であえて言わない、あえて書かないという選択肢を選び取るのは意外と難しい。 自分に直接影響の出ないコトやモノに対して 「どうでもいいけど」とかいって書いてみたりね。 例えば何か

    “スルー力”の個人的定義とそれに対する立ち位置 - 抽斗ドロウアウト
    mind
    mind 2006/12/07
    …2.自分に直接影響の出ないモノコトに対して 3.匿名でなく 4.ありふれた切り口 …なら敢えて自己の立場を表明しない能力 ――「(勝ち)スルー力が足りない」と言われる基準; //負けスルー力が足りない場合は深手を負うw
  • 『はてなちゃん』とululunさんにまつわる幾らかの思い - 抽斗ドロウアウト

    パンツは関係無いです。 なぜ僕がはてなちゃんのショートストーリーを書いたか なぜでしょう。 きっかけはululunさんのこのエントリ。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20061030/neta061030 僕はこの記事を読んだ時、無性に腹が立った。この時、ブクマコメントに「あとで」と書いたが、これは実は「あとでDISる」というような意味だったのだ。ネタのふりして自分の言いたいことをはてなちゃんとしなもんに言わせているような気がして、なんかほんとにもにょもにょと微妙な感情が、胸の辺りにわだかまっていくのを感じた。「てめえの言いたいことを言うだけいっておいて[ネタ]かよ、斜め上目線メソッド*1とかてめえしか言ってねえよ」と。 今読み返すとさほど気にならないような気もするのが不思議だ。 でも似たようなことはその前にも何回もあって、直接そのことを言いはしなかったけど、記

    『はてなちゃん』とululunさんにまつわる幾らかの思い - 抽斗ドロウアウト
    mind
    mind 2006/12/04
    ――不快表明の閾値が下がって連鎖はヤだな、と一瞬思ったけど、「不快」感覚も、整理して吐出してくれれば、次の相互理解に繋がるものだな、と思わせてくれた。
  • 引思日報 - はてブの被お気に入りが減った日記

    最近はてブの被お気に入りが減った。しかも二人も。 そのこと自体は気にしてないつもりなんだけど、ここに書く気になってるってことは気にしてるのかもしれない。 何で減ったのか、原因は大体分かってる。 多分これだ → はてなブックマーク - 萌理賞100字感想に関するcomnnocomのブックマーク そりゃあこんなのがお気に入りにドジャーっと流れてきたらびっくりするだろうなあ。ごめんなさい。 そもそも、僕のはてブの傾向は使い始めた時と結構変わってきてる。 唐突に自分語りを始めますけど、僕がはてな格的に使い出したきっかけはやっぱりはてブだった。 いわゆる[後で読む]問題のころ。はてブというシステム、サービス自体に興味を持ち、はてブに関するエントリを登録しまくっていた。 その後、[しねばいいのに]とかの暴力的コメントとか、あの日橋さんの無断リンク事件とかいろいろあって、はてブ自体に関するエントリ

    引思日報 - はてブの被お気に入りが減った日記
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    mind 2006/08/07
    萌理賞100字感想 ――を見てお気に入りしてくれる人もきっといるはず。
  • ここらでもっぺんはてブのタグとコメントについて考えてみようぜ。

    エントリページの見た目が変更されたのを機にタイトルのようなことを書いていたらブラウザクラッシュでパー。 ちょっと心が折れたので箇条書きスタイルでお茶を濁すことにする。 タグとコメントの性質の違い。 国語的にはコメントは文、タグは単語。 だからタグはタグクラウドみたいな状態でも認識できる。コメントはそうはいかない。 今回の変更でコメントの文頭がある程度揃うので読みやすくなった。 システム的にはタグはメタデータとして活用可。コメントはそうではない。 タグは検索とか分類で使えるから別にいいじゃん。という考え。一理ある。 ほんとにフォークソノミーを目指すならばである。 現状「タグ芸」が隆盛を極める。「誰がそのタグを付けたか」が重要。 たとえば[これはひどい]とかは誰が付けたかわからないと困る。 「タグ芸」と「フォークソノミー」は相反する考え。 今回の変更は「フォークソノミー」への舵取りにも見える。

    ここらでもっぺんはてブのタグとコメントについて考えてみようぜ。
    mind
    mind 2006/03/20
    システム的にはタグはメタデータとして活用可。コメントはそうではない。
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