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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (8)

  • 「非モテ」が晒される性的視線 - 烏蛇ノート

    前回の記事に対して幾つかの反応がありましたが、その中で最も的を射ていると思われたのが大野氏の記事でした。今回はこの大野氏の記事を参照しつつ、非モテの女性がWeb上で置かれている環境について考えてみたいと思います。 オタク腐女子も、セクシャリティがその嗜好に強く反映される。そして、非モテ男と非モテ女は、しばしば「恋愛弱者」と表現される。つまりどちらの話も「性」を巡っている。男は昔から集まっては猥談などしたりして、性的な言語活動が活発だった。いかにモテるかとかセックスが強いかという自慢話。女はそこに参加することはほとんどない。そんなのは「はしたない」とされたこともあるが、それだけではないと思う。女は不特定多数の男の性的な視線(直接見なくて脳内でも)に晒されたくないのである。 この視線の中には、 『こいつ喪女だよ( ',_ゝ`)プッ;』 というのもありますが、 『喪女…処女だ(;´Д`)ハァハ

    「非モテ」が晒される性的視線 - 烏蛇ノート
    mind
    mind 2007/01/22
    彼らの多くが…~に無自覚…女性が同様に「性的視線」に苦しんでいることを理解できません。その結果、「非モテ女性」を「性的視線に苦しんでいること」ではなく「どのくらいモテないのか」で判断してしまう
  • 「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート

    田透の「電波男」以来、「恋愛至上主義」ないし「恋愛主義」こそが「非モテ」の根問題である、という認識が「非モテ」議論の暗黙の前提とされるようになりました。「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏もまた、そうした「恋愛至上主義」を最大の問題の一つと考える「非モテ」論者の一人です。 今回は、この「恋愛至上主義」の実体とは何か、を考えつつ、古澤氏を初めとする多くの「非モテ」論者が陥っている「落とし穴」について述べていきたいと思います。 「非モテを苦しめているのは恋愛至上主義である」 という主張に対しては、古典的かつそれなりに有効な反論として 「世間は非モテ達が言うほど『恋愛』一辺倒ではない」「恋愛至上主義に陥っているのは実は非モテ自身である」 というものがあります。Paris713氏やまりねこ氏、ナツ氏の議論はこうした「反論」の典型的なものです。 これらの指摘は、ある面では全く以て正しい議論です。

    「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート
    mind
    mind 2006/12/23
    コメ欄: 性的存在として相手を見ている限りにおいて、男女が出会うことはない、また理解し合うこともない ――性的非対称性問題。…なら中性/名無しになるかい?
  • ネットウォッチ板と匿名について - 烏蛇ノート

    草実スサ氏のこちらの記事に言及しておきます。一応、当事者としては何か言っておくべきかな、と思ったので。 流れとしては、2chネットwatch板の非モテ論壇ブログヲチスレッドに私が書き込みをしたことに対し、「コテハンで書き込むべきではない」という忠告ないし批判を受けたことが発端です。それを見つけた草実スサ氏は、「匿名性の低い書き込みほど排斥されるべきという感覚は信じられない」として、次のようにコメントしました。 わけが分からない。何かの皮肉とも思えないし。 2chヲチ板って、もはや「悪意を持った卑怯者たちが、匿名なのをいいことに、他人の悪口を言っている」ってレベルじゃねーぞ。 もう、ほんと、根の根で、何かがズレている。 2chのネットウォッチ板とは、簡単に言えば「Web上でおかしな発言をしている人物やサイトを遠目に観察する」ための掲示板です。 板の趣旨上、荒らしや炎上のきっかけとなる危険

    ネットウォッチ板と匿名について - 烏蛇ノート
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    mind 2006/12/17
    ――珍獣(とその味方)のくせに、名無し人間さまと一緒に交じって発言するな、という話? そういうローカルルールが有効とは限らない。
  • 非モテ男よ、奢るべからず - 烏蛇ノート

    しばらく放置しててすみません。前回の記事はまた別の形でまとめますが、その前に別の話を。 瀧澤氏のこちらの記事で提示されている、「事の際、男が女に奢るという慣習」に対する疑義についてです。 まず、瀧澤氏の主張は、 「奢られ慣れていない女性にとって、奢られることは心理的圧力にもなりうる」 「『男が女に奢る』を当然とみなすことで得をするのは、奢られ慣れている女性だけだ」 というもので、私もこれにほぼ全面的に賛同します。 しかし、これに対し、コメント欄でsho_ta氏から次のような反論が述べられました。 で、「原則ルールはあったほうがいい」派の私としては、「割り勘」、「女が払う」、「男が払う」の三択であるならば、「男が払う」が一番無難だと思うわけですよ。理由は簡単で、男が誘うケースのほうが事例として圧倒的に多く、かつそのほうが男(特に非モテ童貞)が女を誘いやすいからです。 さらにこれに対し、rA

    非モテ男よ、奢るべからず - 烏蛇ノート
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    mind 2006/12/04
    ――そうか、囚人のジレンマか! 自動執行される人質交換でもしとくと裏切りを抑止できるかも。 //1:1の場合は結婚制度にも繋がる深い問題なのかもね。
  • 「相談事」の性差の話 - 烏蛇ノート

    今回は軽めの更新です。 引用ははまちや氏のこちらの記事から。 2005年02月19日 09:19 女はアレだ 泣いたり怒ったり辛そうにしているのを見ても 真面目に理由を聞いて合理的になんとかしてやろうと思ってはいけないね。 「あぁ辛いよね。わかる、ホントすごいわかるよ…」 いかにうまく↑ができるかがポイント。 「ねぇねぇどうしよう! 私どうすればいいの(;;)」 とか聞かれても、真面目に質問とか推測とかして答えを出してあげようと しないほうがいいよ! 「そっかー。うーん。。それって大変なんだよね…><」 なんかこういうのがいいみたい。 男にとっては、ガマンできないくらい不真面目で適当で無意味な会話なのかも…! でも、ここで「そういうの時間の無駄」とか思って、不適切な(真面目な)対応しちゃうと相手が泣き出しちゃったりして大変なことに! 「相談事に対して求める助言の種類が男女で異なる」という話

    「相談事」の性差の話 - 烏蛇ノート
    mind
    mind 2006/12/04
    相談された人がいくら「合理的に」考えても、相談者の立場になり切ることは不可能。 →「答えを出してあげる」ことは「相手のことを勝手に決め付けて押し付ける」こと ――{なりきり模倣(同化) vs 合理的模倣(TM)
  • 「萌え」と「恋愛」それぞれの嘘 - 烏蛇ノート

    久々に恋愛についてのお話です。 今回は宮台真司氏のこちらの記事について。 生身の人間関係には全体性があるの。たとえば性格や振る舞いにも肯定面と否定面とが表裏一体あって、それらが合わさって人格になってる。人間関係もそうで、不愉快なもの、不幸なもの…全てを含めて初めて現実のドラマが成り立つ。悲劇がドラマの不可欠の部品だと理解することが、全体性に開かれた態度なの。全体性を踏まえて理想を目指すのが来あるべき形だよ。ところが萌えにおける恋愛は全体性と何のつながりもない。「理想のコならこんな僕でも認めてくれる」って、現実にあり得ない「承認幻想」なの。 宮台氏の議論は非モテ界隈ではよくある「脱オタのすすめ」の一種であり、「萌えに逃避せずに現実(の恋愛)と向き合え」という論調です。「萌えに逃避している」と言われた側は当然反発するわけで、kagami氏のこの記事はこうした「反発」の分かりやすい例でしょう。

    「萌え」と「恋愛」それぞれの嘘 - 烏蛇ノート
    mind
    mind 2006/10/01
    フィクション作品の読者は、描かれた全ての物語を追うことができます。しかし… ――物語実在論者は、隠れた設定も決定されていると考えるらしい ;三四郎の母型の祖母の血液型 http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/kotobawa.htm
  • 標準語とオタク - 烏蛇ノート

    しばらく放置してましたが、今回は軽めの更新です。シロクマ氏のところの記事に付いたブックマークコメントより。 rumble_pony 在京経験もなく、両親も標準語圏出身じゃないのに標準語を話せる、ニュアンスがいつの間にか標準語寄り。<男女ともにヲタ率高い 元のシロクマ氏の記事は「隠れオタク女性の見分け方」なんですが、それに対して付けられたコメントです。rumble_pony氏は「なぜそうなのか」の理由を書いておられませんが、私自身はこれにしっかり当てはまっています。実際のところ、どこまで当たっているのかは分からないんですが、とりあえず私の場合を書いてみようかと。 私は現在京都に住んでいますが、関西出身の人に対しては標準語寄りの関西弁、それ以外の地方出身(と思われる)人には標準語、と使い分けており、自分の地元の方言を使うことはありません。これは「わざと使わないようにしている」のではなく、「地元

    標準語とオタク - 烏蛇ノート
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    mind 2006/09/15
    方言は「標準語より親しみやすい言葉」。ie.「相手との距離感が少ない」ということ。communicationに苦手意識を持ってる人は、対人関係に一定の距離を置いているから、方言より標準語が… ――内輪感を演出できない。
  • 「愛」という名の性的搾取 - 烏蛇ノート

    前々回の記事でのイカフライ氏のコメントへの返信記事です。 あと、もうひとつ。 >『「愛」の証として、強迫的にこの種の行為を迫られる昨今の風潮』 うーん、これって良く解りません、「脅迫的に迫られる」 あくまで自分の経験に過ぎないのですが、好きな人とは抱きたい、抱かれたい、って、自然に湧いてくる気持ちじゃないんですか? いや、勿論、愛が無くてもセックスなんていくらでも出来ます。実際、昔は親が決めた結婚なんていくらでもあるし、今だって国によってはそうです。 欲望だけでも出来るでしょうし、セックスをお仕事にすることだってあります。 ただ、「したい」という気持ちは、「家のために子供を作らねば成らない」というような社会的強要とは違うもののように思えるんですが。 まあ、もしかしたら、その、特に若き日に「好きだからしたい」と思う感情が、能に根ざした繁殖システムなのかも知れませんけれど。 「愛があればセッ

    「愛」という名の性的搾取 - 烏蛇ノート
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    mind 2006/06/19
    性欲を「邪悪な欲望」と書いたのは、相手を人間としてと言うより、オス/メスと看做すことから。人間としてあまりに尊敬している人とは、恋人同士になってもセックス…快楽を貪れない。快楽は往々にして邪悪
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