100年前に壊れたはずのオルゴールが突如メロディーを奏で始めたかのような、恐怖と驚きと、何より望みが託された映画。レオス・カラックスの待望の新作は、彼の作品がいつもそうであったように、再度、映画と対峙する「動機」を冒頭の画面に示す。リュミエール兄弟以前にエティエンヌ=ジュール・マレーによって発明された写真銃で撮影された、少年のダイナミックな運動。ここで人間の身体、運動というカラックスのキャリアを貫くテーマと同じくらい重要なのは、この100年以上前に記録された少年の運動が「行って、戻る=中断される」運動であったことであり、ここには『汚れた血』におけるドニ・ラヴァンの、多幸感の絶頂から同じく中断されてしまった、あの疾走を重ね合わせることの意義、以上のものがある。なぜならこれは、この100年以上前に撮られた少年の映像を、まだ20代半ばのカラックスがまったく意図せずに、あのとき繰り返していた、とい
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