おふたりのお話を聞いていると、 『ラストストーリー』は、 お客さんによって独自のプレイスタイルで楽しめる 新しいスタイルのゲームを目指してつくられたんだと思います。 そういうゲームをプレイした後、 自分の冒険をみんなで語り合うときに、 「あれ、僕の思い出とちょっと違うぞ?」と思ったり、 「どうやってプレイしたの?」と盛り上がったりすると 面白いなと思うんですよね。
『スーパーマリオブラザーズ』25周年を記念した 『スペシャルパック』の発売をきっかけに、 これまでいろんな人たちから話を訊いてきました。 「社長が訊く」を読んでおられる人の中には、 「この企画でまだ訊くの?」とあきれている方もいるかもしれませんが、 今回は“1980年代生まれの開発者たち”がテーマです。 1980年代に生まれたみなさんは、ものごころが ついたときにはすでに『スーパーマリオ』(※1)が存在していて、 言いかえると『マリオ』といっしょに育ったわけですよね。 そのような人たちが開発者になり、 ものをつくるというのはどういうことなのか、 そんな話を訊きたくて、みなさんに集まっていただきました。 今日はよろしくお願いいたします。
さて今日は、『スーパーマリオ』シリーズを支えてきた 開発経験者のみなさんに集まってもらいました。 25年前に『スーパーマリオ』が発売されたとき、 まだ任天堂の人ではなかったみなさんが入社してから、 これまでどのように『マリオ』に関わってきたのかを 訊いてみようと思います。 まず、それぞれ関わった『マリオ』シリーズの タイトルについてお訊きしたいのですが、 江口さんからお願いできますか。
今回、坂口さんは 『ラストストーリー』という大きな挑戦をされたことで、 音楽に求めるものも今までとは違うものになったと思うんです。 そのことで植松さんも非常に苦労されたということを 伝え聞いているのですが、そのあたりのお話を教えていただけますか。 そうですねえ。久々に、方向性から苦労しましたね・・・。 坂口さんからお話をいただいたとき、 「僕でよかったらやりましょう」とすぐにお受けしたんです。 最初にメインテーマと、戦闘と、街の曲を先につくってほしいと 頼まれまして、いつもどおりつくって、提出したら・・・。 「ぜんっぜん違う!」っていう、長~~~いメールが返ってきました。
今日は『社長が訊く』で3度目の登場となる坂口さんと、 植松伸夫さんにお越しいただきました。 今回の『ラストストーリー』では、植松さんに音楽をご担当いただいています。 おふたりがタッグを組まれてから長い期間がたちますが、 そもそもどのようにおふたりの関係が生まれたのか、 まずは、おふたりの出会いから教えていただけますか? はい。僕が昔、横浜の日吉という町に住んでいまして、 そこに毎晩、酒飲みたいやつが集まってくるわけですよ。 で、みんな若いんで、小説家になりたいとか、 ミュージシャン、書道家になりたいんだっていうやつらがいて。 そこで当時、スクウェア(※1)にいた女の子と知り合って、 彼女に連れられてスクウェアに出入りするようになりました。 当時はスクウェアも日吉にあったんです。 それで、すでにそこのボスだった坂口さんと出会いました。
今日は、“DSのパブリックスペース利用”、つまり “公共の場所でDSを使っていただく”という、 任天堂の新しい提案に取り組んできた人たちに 集まってもらいました。 これまでにやってきたことを振り返りつつ、 順番におうかがいしていきたいと思います。 みなさん、よろしくお願いいたします。
今日は2人の大先輩からお話を訊かせていただきます。 今年の9月13日で『スーパーマリオブラザーズ』の発売から ちょうど25年になりますが、 多くのみなさんにご愛顧いただきつづけることができたおかげで、 登場から四半世紀が経ったいまも、『スーパーマリオ』は元気です。 今回、ご支持いただいたみなさんへの感謝を込めて 25周年を記念したキャンペーンを展開させていただくことになりました。 それと同時に、 任天堂がトランプ・花札の会社から、 ふとしたきっかけでおもちゃをつくるようになり、 電子機器技術に出会い、 そしてビデオゲームの会社として変貌していくときに、 会社の中心におられたお2人にとって、 『スーパーマリオ』が生まれていく過程がどう見えていたのか、 そういったお話をいまお訊きして 何らかのかたちで残しておくことは、 歴史上、とても意義があるのではないかと思いまして、 今回、「社長が訊く」へ
みなさん、こんにちは。任天堂の岩田です。 1985年9月13日、ファミリーコンピュータ向けに 初代の『スーパーマリオブラザーズ』が発売されてから、 今日でちょうど25周年となりました。 世界中のお客様のご支持のおかげで、 最初のスーパーマリオ発売から25年が経過した今も、 マリオは今日もたくさんのゲーム画面の中で、 元気いっぱいジャンプを続けています。 四半世紀に渡り、世界中のお客様にご愛顧いただき、 本当にありがとうございます。 任天堂では、「スーパーマリオ25周年」を記念して キャンペーンをさせていただくことにしましたが、 これと並行して、 スーパーマリオの歴史にちなんだ「社長が訊く」を 数回に分けて順次公開させていただく予定です。 当然のことながら、最初に、 スーパーマリオの生みの親である宮本との話を みなさんにお届けしようと考えましたが、 これまでの「社長が訊く」において、 宮本は
今回は『New スーパーマリオブラザーズ Wii』の 発売からずいぶん時間が経ちました。 そこで、いつものように開発の苦労話を訊くというよりも、 今日は、みなさんの周囲で見聞きした、 お客さんが『NewマリオWii』を遊んでいらっしゃる 手ごたえのような話から訊いてみたいと思います。 では、まず最初に、みなさんが この『NewマリオWii』でどんなことを担当したか、 簡単に自己紹介からお願いします。
これまでの「社長が訊く」では 発売前の新商品を取り上げることが多かったので、 ニンテンドーDSi LLの開発に関わったみなさんは 「今回は訊かれないのかな?」と思いながら 発売日を迎えたんじゃないでしょうか。 実は以前からわたしは、 実際にご購入いただいたお客さんの声をお聞きしたあとに 「社長が訊く」のも悪くないと思っていまして、 発売後にどういう思いで開発したのかをお伝えすることも 新しい試みになり得るのではないかと思っていました。 そこで、DSi LLの発売から1週間ちょっとたち、 今日はあえて日付を言うことにしますが、 本日11月30日に、DSi LLの開発者のみなさんに 訊いていきたいと思います。 よろしくお願いします。
今日のテーマは 『New スーパーマリオブラザーズ Wii』ですが、 いきなり最新作の話から入るのではなく 『マリオ』のルーツの話から訊いてみたいと思います。 知っている人はもちろん知っている話ですけど 知らない人はぜんぜん知らないと思いますので。
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