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はてなブログに関するminougunのブックマーク (14)

  • 政治力から切り離された「コミュニケーション能力」は机上の空論 - minougunの日記

  • 人生はゲームか? - minougunの日記

    「人はそれぞれのゲームを生きているのだろう」と考えると、気が楽になる。 「それはしょせんゲームだ」と解釈することで、人生という重たいものを軽くし、そこに詰まっている苦しみを解毒する。 だから、苦しみから逃げるために、「人はそれぞれのゲームを生きているのだろう」と考えたくなる。 もちろん、人生をむやみに重たく考えたがる人はうっとうしい。 人生なんて、そんなごたいそうなもんじゃない。 ただ、逆に、人生をむやみに「無意味化」しようとするのもまた、どこかウソっぽい感じがする。 なぜなら、ゲームの内側にいる人間にとっては、ゲームゲームではあり得ないからだ。 自分だけは、ゲームの外側に立って、ゲームを眺めているつもりでも、実際には、つもりになっているだけだろう。 おそらくは、「人生ゲームだ」と言っている人ですら、それを意識の片隅で感じているだろう。 そして、だからこそ、「人生ゲームなんだ」と言

    人生はゲームか? - minougunの日記
  • 「他人を見下している」とよく言われる件について - minougunの日記

    ぼくは、よく「他人を見下している」と指摘されることがある。 たしかに、「そう言われたら見下しているかもなー」と思わないでもないけれど、しかし、ぼくは、下水の泥の中で蠢く単細胞生物たちは、侮れないと思ったりする気分の時も、ある。もしかしたら、スゴイ奴らなんじゃないかと無意識のうちに警戒している。油断ならないと思っている。見下して侮った瞬間、やられるんじゃないか、という不安が、意識のどこかにある。もしかしたら、いつか僕を救ってくれる白馬の騎士になるかもしれないし、バカにしたり見下したりなんてありえないな、とか、ぼーっと考えていたりすることもよくある。それは、単細胞生物だけでなく、人間を含めたあらゆる生き物、いや、無生物を含めた森羅万象の何についても、そう思うことがよくある。気でそう思うことがよくある。どんなによく理解した気になったときも、警戒だけは解かないでいる。どんな完璧な理解も、誤解であ

    「他人を見下している」とよく言われる件について - minougunの日記
  • 科学とは - minougunの日記

    たとえば、リチャードドーキンスのselfish geneにあるように(利己的な遺伝子)、科学とは、自然現象を客観的に記述する行為のように見えて、実際には、人間の知覚系が理解しやすいように、解釈する行為。そうでないと、人間が科学の知見を自在に使いこなし、応用し、仕事や生活に役立てるのに都合が悪いから。 科学が、できるだけシンプルな解釈を好むのも、その方が、より少ない脳神経リソースで、自然を解釈し、予測し、操作できるから。 そして、人間の知覚系は、複雑なものを知覚し、解釈するとき、擬人化することで把握するのが都合がよい場合が多々ある。 だから、遺伝子と生命現象の関係を科学的に解釈しようとすると、遺伝子を擬人化することが、一番適切になる。生命は遺伝子の乗る船に過ぎず、遺伝子は自分を増殖させるための手段として生命の行動を操っている、と解釈した方が、生命の複雑な行動をわかりやすく解釈できる。 しかし

    科学とは - minougunの日記
  • 「私」の存在と、「人間」の存在の関係 - minougunの日記

    「私」が存在するのは、「私にとっては」奇跡だ。 なぜなら、「私にとっては」私以外の全てのひとは私ではないからだ。 「私にとっては」私が生きるか死ぬかは、世界が生まれるか滅ぶかと同じくらい重大事である。 「私にとっては」私は特別な存在なのだ。 そして、その、「「私」という最高に価値あるもの」が、とてつもなく少ない確率で生ずるのだと言うことは、「私」にとっては、たしかに感動ものだ。もともと高い価値を持つものが希少であるとき、人は、ますますそれを価値あるものだと「感じる」。そして、価値とは「感じる」ことからしか生じない。論理からは生じない。どれほど高度な論理を積み重ねても、価値についてはいかなる論証も反証も不可能だ。 だから、「私にとっては」、私という存在が希有であることは、私という存在の価値がますます高くなるということだ。 ところが、他人から見ると、私は、べつに奇跡でもなんでもない。 ただの一

    「私」の存在と、「人間」の存在の関係 - minougunの日記
  • ドキドキ文芸部をプレイした(ネタバレなし) - minougunの日記

    「ドキドキ文芸部」っていうアメリカ人が作ったフリーのギャルゲが話題になっていたのでプレイしてみた。 http://ddlc.moe http://store.steampowered.com/app/698780/agecheck 当然、アメリカの人が作ったゲームだから英語なんだけど、有志の方たちによる日語パッチもある。 http://steamcommunity.com/sharedfiles/filedetails/?id=129... で、プレイしてみた感想だけど、日のギャルゲをすごく研究していて、無料なのにとてもよく出来ているなー、といった感じ。 ぼくはギャルゲ自体は君望とAIRとひぐらしと沙耶の唄とシュタゲくらいしかやったことがないけれど、そのくらいの頃のプレイしていた記憶を思い出して懐かしい気持ちになる。 個人的に、ギャルゲには良いところと悪いところがあると思っている。良い

    ドキドキ文芸部をプレイした(ネタバレなし) - minougunの日記
  • 言葉は定義できるのか? - minougunの日記

    たとえば、パンツ見えそうなほどの超ミニスカートをはいて歩いている女子高校生とか、近所の若奥さんとか、スーパーにいるおばちゃんとか、山手線にゆられてるスーツを着たおじさんとか、その辺のフツーの人が使う言葉が、広義の意味での言葉の定義と一致してるのか? それがずれている場合、ふつーの人の言葉の定義が間違っていて、広義の言葉の定義が正しいのだから、1億2000万人の日人は、その定義を使うべきだって言ってもそうはならないわけで。そこが、たとえば、コンピュータサイエンスと違うところだと思う。たとえば、30年ぐらい前に、LISPは、functionの定義を変えた。同じ言葉のまま、言葉の概念を拡張して、multiple dispatchするような、generic functionをfunctionということにした。いままでのfunctionの概念は、狭かったので、より広い概念に書き換えたわけ。この場合

    言葉は定義できるのか? - minougunの日記
  • 桂枝雀の「緊緩の法則」まとめ - minougunの日記

    以前、自分でも笑いのメカニズムについてという記事を書いたのだけれど、その後に読んだ落語家の桂枝雀さんの、らくごDE枝雀 (ちくま文庫)という対談形式で笑いのメカニズムについて語られているの内容が素晴らしかったので、その中でも最も重要な、「緊緩の法則」について語られている部分を、ほぼ自分用にまとめることにする。 笑いの分類 桂枝雀は、笑いを4つに分類した。 1.知的な笑い『変』 2.情的な笑い『他人のちょっとした困り』 3.生理的な笑い『緊張の緩和』 4.社会的・道徳的な笑い『他人の忌み嫌うこと』ないし『エロがかったこと』 一つずつ説明していく。 1.知的な笑い『変』 「変」というのはおかしなこと。普通じゃないというのは「緊張」であること。そして、いったん変なことがあってそれから普通の状況に戻ったら、今度は「緩和」されて笑いが起こる。 この場合、必ず最後は普通の状態に戻らないといけない。変

    桂枝雀の「緊緩の法則」まとめ - minougunの日記
  • 文字を書くということ - minougunの日記

    自分の中の感情や思考って、かなりカオスで、立体的、いや多次元的構造物だから、それをそのまま一次元的な文章にしようとすると、意味不明の文字列になっちゃうのではないのかな。いや、文字列にすることすらできないのではないのか。 文章として意味をなすように、というきついきつい制約条件が、根的な変質を引き起こすんじゃないだろうか。文章として意味をなすように自分の思考や感情を整形すると、その整形や構造化を行うことで、それは、元の思考や感情とは別物になっちゃう。自分でしか読まないプライベートな日記ですら、そうなっちゃう。どんなに正直に書こうとしても、それは、自分の思考や感情から独立した異質の何かになってしまっているのに、それに自分が気づいていないだけなのじゃないのか。 まして、自分以外の人間が読んでも、意味をなす体裁や構造に形作ると、もうそれは、元の自分の思考や感情とは別の何かじゃないのか?自分の思考や

    文字を書くということ - minougunの日記
  • うつ病と診断されて一年が経ちました。 - minougunの日記

    タイトルの通りなんだけど、うつ病と診断されてちょうど一年が経った。 うつ病になってからは、基的に働くことはせずにのんびり休んでいる。もともと働くのがそんなに好きじゃない自分にとってはこういう生活がけっこう向いているのかもしれないなーと思うんだけど、それでも休んでいる間はアパートの部屋で一人暇を持て余しているだけなので、実際かなり寂しい。読書や勉強したりhuluとかで映画を見たりしているんだけど、それでも毎日の暇を潰すのはけっこう大変。けっきょく、孤独の時間は苦痛なので、最近はスカイプちゃんねるwやチャットパッドで知り合った人と話したりして暇を潰している日々だ。 でも、最近医師から働いても良いと言われたので、そろそろ少しづつ働き出そうと思う。働かないと暇すぎる。暇にもほどがある。こういうことを言うと「贅沢な悩みだ」と批判されそうだけど。

    うつ病と診断されて一年が経ちました。 - minougunの日記
  • 日本における最大のタブー - minougunの日記

    キリスト教とか、王室とかを西洋の文脈と同じように日のタブーだと捉えるのは間違っている。 何故なら、日と西洋では文化歴史が全然違うので、当然の事として、タブーもかなり違っている。 でも、日のインテリは、西洋文化をそのまま輸入してタブーを突いたとか勘違いしてしまっているので、結果としてピントのズレた言説に終始してしまっている。 そして、何で日のインテリは西洋の文脈でしか日を批判しないのかというと、一般的に日歴史に詳しいヤツにまともな人間はいないという事になっているからだ。 国学に詳しかったり、神道や東洋哲学に詳しいヤツは、基的に、間違ったナショナリズムに吹き上がってしまっている連中であり、つまりは日文化を変える側ではなく、日古来の文化を護ろうとしている連中だ、という国民の共通認識になっている。 だから、日を変えようとするインテリたちは日歴史を重視していない。 アニメ

    日本における最大のタブー - minougunの日記
    minougun
    minougun 2015/03/22
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  • 良いものは良いと言いたい - minougunの日記

    評論家は、どれだけその作品を褒めちぎって、その作品の魅力を上手く言語化して、多くの人に伝えることに成功しても、自分が作った訳じゃないから見返りはほとんどないし、それどころかお前は何も作っていないクセにエラそうにしやがってと軽く扱われて見下されることもある。 だから、評論家って、基的に貧乏くじを引く役割を担っているのだと思う。誠実な評論家であればあるほど、そうなる。 でも、そういう評論家がいないと、表に出てこない作品もかなり多い。 何故なら、作品を作るクリエイターの人たちの多くは、 「私は、ただ作りたいからこれを作った」 と言って、作品の意味や解釈を他の人に委ねているし、そして、そういう姿勢こそがクリエイターとしてのあるべき姿という風潮があるから。 なぜ、相手の解釈に委ねた姿勢こそクリエイターとしてのあるべき姿だという風潮があるかというと、その方が敷居が低くて、より多くの人に開かれている感

    良いものは良いと言いたい - minougunの日記
    minougun
    minougun 2015/03/21
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