竹林 由武(情報・システム研究機構 統計数理研究所 特任助教) 久保田 貴文(多摩大学 准教授) 山内 貴史(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 研究員) 椿 広計(情報・システム研究機構 統計数理研究所 副所長(作成当時))
竹林 由武(情報・システム研究機構 統計数理研究所 特任助教) 久保田 貴文(多摩大学 准教授) 山内 貴史(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 研究員) 椿 広計(情報・システム研究機構 統計数理研究所 副所長(作成当時))
スノーボードの国母選手の服装が問題視された事件が数日前にあった。この事件への対応が少し気になっている。 というのも、ルールと価値観が混同されているような気がする。 国母選手の空港での服装がだらしないと思う日本人はかなりの数いると思う。僕も国母選手の服装は格好悪いと思う一人だ。 しかし、腰パンのどこが悪いという日本人も少数派かもしれないが若者を中心にいることだろう。 スキー連盟の会長が「大いに不愉快」と発言をされていたが、そう思う人がいても不思議ではない。 しかし、不愉快に思ったり、だらしないと思ったりというのはその人の価値観であり、誰かの価値観にあわないから処分するというのは、私的な集まりではともかく、オリンピック代表団のような公の場では行えないはずだ。公の場での処分は、明確なルールに違反しているときでなければいけない。 たとえばもし、国母選手が定められた代表団のブレザーやネクタイを着てい
昨日は「ネイション」の話をしたが、それに関連する話を一つ。これは又聞きだったかコピペだったか記憶にない。ある日本人がある書類に「宗教:なし」と書いたところアナーキストと勘違いされて一時騒然となった、という話を聞いたことがある。欧米ではなにがしかの信仰を持っているのが当たり前であり、持たないのは異分子なのである。それでテロリストか何かとの疑いをもたれたらしい。 当時はまだ日本にいたが、なるほど確かに自分でもそう書きそうになる、と思った。実態はどうだろうか。「なし」と書きたくなる日本人の大半は、いかなる意味においてもアナーキストではない。ゆえになにがしかの宗教を書いてもいいのだろう。今L.starは英文として正しいかどうかはさておき”My religion is a hybrid of Shintoism and Buddhism.”と答えている。仏教と神道のあいのこ、である。あとはそれが典型
もうつくづくなんというかアナーキストでノーフューチャーな気分だ。安全ピンをシャツや耳にいっぱい刺して、発煙筒をもくもくと焚きながら街を練り歩きたい。アンチクライスト。ロンドンコーリング。女王陛下。 朝青龍の引退に続き、スノボ選手の服装問題(べつに問題でもなんでもないことを、さも問題であるかのように扱う世の中がすくいがたい病気だと思う)などを見ると、怒る前におそろしくなってくる。 この恐怖感はべつに今に始まったことじゃなく、成人式に参加した数万人のうちに含まれるごくごくわずかなお調子者のために社会面を数段ぶち抜きで報じた新聞(私の故郷の地元紙は社会面の3分の2ぐらい使って、酔っぱらってガラスを割ったバカに筆誅をくわえていた。社説もばっちり説教モード。新成人を祝福するどころか、みんな憎悪しているのがよくわかった)や、豊田商事会長刺殺事件やロス疑惑や松本サリン事件を経てもまるで変わることのないメ
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