1940年:現職フランクリン・D・ルーズヴェルト、従来の慣例だった2期での引退をせずに3期目目指して出馬、勝利(のちに憲法改正で正式に3選が禁止される)1948年:人種平等を掲げる現職ハリー・トルーマンに反発し、南部出身の党員が離党し独自候補を擁立。民主党が分裂したので共和党候補トマス・デューイの必勝と思われていたところ、なりふり構わぬ選挙戦が功を奏しトルーマン再選(のちにトルーマンが「デューイ、トルーマンを破る」の誤報を載せた新聞をニッコニコで掲げてる光景がミーム化する)1968年:現職リンドン・ジョンソンが順当に再選かと思いきや、上院議員ユージーン・マッカーシーが出馬表明し予備選でジョンソンを追い詰めたので、ジョンソンが再選を断念。それを見て「これいけるんじゃね?」と出馬した前大統領の弟ロバート・ケネディがカリフォルニア州で勝利し、ほぼ指名確定となった段階で暗殺。最終的に党のお偉方が推