□拓殖大学総長・渡辺利夫 集団的自衛権行使容認に関する新たな政府解釈が閣議決定され、ひとまずの安堵(あんど)を得ている。しかし、個別的であれ集団的であれ、自衛権行使を容認して、いったいわれわれは何を衛(まも)ろうというのか。この肝腎(かんじん)のところを誰も語らない。それでいいのか。憲法改正に向けての議論がいずれ本格化するであろうが、議論の中枢に据えられるべきはこの論点である。 憲法とは国家の至高の法規としての規範性を示すものである。さればこそ日本国憲法には、日本という国家が存続するには何が必要か、日本という国家は何を受容し何を排除する存在なのか、その規範性を明示しなければならない。 ≪憲法の本義は「国体」なり≫ 和英辞典で「憲法」を引けばコンスティチューション(Constitution)とある。英和辞典でコンスティチューションを入力すると体質、性質という訳語がでてくる。憲法の本義は国家の
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