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2014年1月18日のブックマーク (3件)

  • 半世紀にわたり日本の負傷兵を世話したある農民の話 - 『人民中国』

    今年は、あの悲惨な戦争が終結して60周年の節目の年である。戦争が人類にもたらした大きな災禍をふりかえるにあたり、河南省南召県の農民、孫邦俊さんの一家が、なんと47年もの間、日の負傷兵・石田東四郎さんの世話をして、ぶじに帰国させたという実話を聞いた。そこで、同県にほど近い南陽市を訪れ、孫邦俊さんの家族や証言者を取材、この実話を記録することにした。 日の負傷兵 南陽市は河南省南部に位置する「歴史文化の町」である。三国時代(220~280年)の蜀国の丞相・諸葛亮は若いころに、この地で晴耕雨読した。いわゆる「三顧の礼」で知られる故事は、ここが発祥の地だという。 南陽市から北へ自動車で一時間ほど走ると、南召県太山廟郷につく。孫邦俊さんの家が、この村にあるのである。孫さんとその息子の孫保傑さんは、すでに他界したという。息子の嫁の王成香さんが、この話をもっともよく知る人物となっている。 彼女の話によ

  • 石田東四郎 - Wikipedia

    石田 東四郎(いしだ とうしろう、1912年8月[1] - 2009年6月25日) は、日の陸軍軍人。太平洋戦争終結から48年目の1993年、中国河南省南召県から帰国した。 人物・来歴[編集] 1912年8月[1]、秋田県平鹿郡増田町土肥館(現在の横手市)に生まれる[2]。1929年、満17歳で徴兵され秋田歩兵第17連隊に配属された。1936年、一時除隊し、秋田県庁に勤務する[2]。 1937年、再召集されて中国河南省封丘に渡り、宣撫官として情報収集任務に従事する[2][3][4]。戦地から家族に熱心に手紙を送っていたが手紙が途絶え、終戦直前に行方不明となり[4]、国は1963年に石田の戦死を認定する[3][4]。命日は、第二次世界大戦終戦の日である1945年8月15日とされた[4]。当時の戒名は勇道居士[2]。 石田は、戦時の銃撃により左耳後部に負傷し、聴覚を失い記憶喪失に陥ったまま、

  • CSS Subclassing

    上野 学(@manabuueno)- 2014年1月17日 CSS Subclassing は、主にアプリケーションよりのウェブの実装に役立つ CSS の書き方である。 アプリケーションよりのウェブとは、企業広報サイトのように各画面でデザインの個別性が高いものではなく、コンポーネント化されたUI要素の組み合わせのみで各画面が構成されるようなもののことである。 CSS Subclassing の目的は、HTML 要素をユーザーインターフェースオブジェクトのインスタンスとして捉え、そのスタイルをクラスとして定義することにある。そしてあるクラスの性質(スタイル)を継承した、サブクラスの定義もできるようにする。 HTML 要素にスタイルをあてる場合、class 属性にクラス名をセットしてそれを CSS のセレクターに用いることは普通に行われる。しかし HTML 要素の class 属性は、いわゆる