高橋 義治(たかはし よしはる、1916年(大正5年)6月6日 - 1986年 (昭和61年)7月16日)は、日本の実業家。全国朝日放送(テレビ朝日)取締役[1]、イ・アイ・イグループ(EIE)代表取締役会長[1][2]、慈悲庵、まどか保育園各理事[3]等を務めた。 戦後のモノ不足の時代に輸入物資を売りさばいて財を築いた[2]。いくつかの事業を手がけた後に、日本教育テレビ(NET)の設立に関わり、取締役に就任した[2]。電通顧問の高橋治之、イ・アイ・イグループ代表の高橋治則は息子。 来歴・人物[編集] 長崎県・高橋猪之助の長男[3]。高橋家は江戸時代、平戸松浦藩の藩士だった[4]。 法政大学経済学科卒業[3]。戦前はいわゆる満州浪人で[5]、1941年(昭和16年)東満洲産業秘書課を経て、鉄鋼原料統制会に勤務する。 NET入社[編集] 1946年(昭和21年)東洋物産常務[3]、1952年
安倍晋三・元首相が参院選の選挙演説中に銃撃されて亡くなった事件。世界中に衝撃を与えた事件から1か月になるのを前に、安倍氏と親交の深かった首相経験者から話を聞いた。インタビューの詳細は10日発売の「中央公論」に掲載する。 【写真】安倍元首相の位牌を携える昭恵さん 「安倍さんが亡くなるとは、予想も、考えもしなかった。これからどうやって安倍さんをもう一回、もり立てていくかということを考えていた。本人もおそらく、心の中では『チャンスがあれば』と思っていたはずだが、お互い、絶対に口にしないようにしていた。奈良もそうだが、彼はこの参院選で、行かなくていいようなところまできめ細かく応援に歩いていた。やはり他日を期しているのだなと、私には見えた」 「夫人の昭恵さんが葬儀のお礼に、この事務所に来られてランチを一緒にしながら話した。思ったよりは元気でしっかりしておられた。昭恵さんが言うには、安倍さんは東京五輪
2000年代の変化 安倍晋三元首相が奈良市で演説中に銃で撃たれて死亡した事件で、統一教会の霊感商法がクローズアップされている。事件当初は「宗教団体」としか書いていなかった各メディアも、現代ビジネスが団体名を書いた記事を掲載し、統一教会が会見をおこなうと、堰を切ったように、ほかも「旧統一教会」と書きだした。 長い間、統一教会の4文字はメディアの中でも不文律のタブーになってきた事実がある。1998年以降の記者生活を振り返れば、筆者は、2002年に週刊誌で、あるアイドルグループが統一教会の支援を受けていた記事を書いており、この頃はタブーになってはいなかった。 集まった信者たちをファンに見せかけて盛況を演出したという内容だが、当時は、ほかでも教育系の大手企業が教会から資金を入れているという報道もあった。 しかし、数年後、大手企業の仕事を多数受注しているコンサルタント会社が統一教会と組んだらしいとい
7月28日に北海道テレビが放送した伊達忠一前参議院議長の発言は衝撃的だった。安倍元総理が旧統一教会の組織票の取りまとめを一手に引き受けている様子が生々しく語られたからだ。 伊達前議長は北海道で臨床検査技師を務めていたが、北海道議会議員を経て2001年に参議院議員に初当選した。参議院国対委員長や参議院幹事長を務めた後、2016年に参議院議長に選出され、2019年の参議院選挙には出馬せず政界を引退した。 その伊達前議長は2016年の参議院選挙に、長野県で臨床検査技師をしていた宮島喜文氏を日本臨床衛生検査技師会の組織内候補として立候補させた。しかし組織票が十分でなかったため安倍元総理と面会し、旧統一教会票を回してもらうよう依頼した。 すると安倍元総理は「わかりました。そしたらちょっと頼んでアレ(支援)しましょう」と言ってくれた。結果、宮島候補は当選した。ところが今年の参議院選挙で宮島候補が自民党
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