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ブックマーク / www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc (1)

  • 3-1.炭鉱を旅する

    炭鉱は北海道歴史で常に重要な位置をしめてきました。 明治5年に来日したライマンは明治7年、夕張川流域を調査し、 夕張川上流に石炭があること明らかになり、徐々に開発の手が入っていくことになります。 明治12年にはまず幌内炭鉱の採掘に向け準備が進められていきました。 そして明治15年に幌内-手宮の鉄道開通とともに格的な採掘がはじまったのです。 当初は官営により開発が進められましたが、明治中期の官業の民間払い下げの動きが加速していき、 明治22年に北炭が幌内炭鉱、鉄道の払い下げを受けました。 以後の中空知の炭鉱開発は北炭が主体になり、開発されていきました。 明治40年以降にはさらに幾つもの炭鉱資も開発に加わりました。 三菱は大夕張、芦別、美唄を、三井は登川、砂川、住友は唐松、上歌志内と中空知の炭鉱は活況を呈していきます。 戦時には軍需産業にのエネルギー資源として、採掘が乱開発に近い形で急ピ

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