平成初頭、不法滞在と犯罪という不名誉な行為ばかりが注目された人々がいた。中東から来たイラン人だ。東京の代々木公園や上野公園は彼らの姿で埋まり、変造テレホンカードや薬物の密売が横行した。彼らは日本政府の政策転換の結果、数年後には激減した。 「ジパング」を目指してイラン人が日曜ごとに代々木公園に集まり始めたのは1990(平成2)年。92年には一日に約6千人が詰めかける日もあり、若い男ばかりがたむろする様子は当局から「蝟集(いしゅう)」と呼ばれた。「蝟」はハリネズミを意味し、その毛のように多く寄り集まる状態を表す。 日雇い仕事などの情報交換のほか、磁気情報を不正に改ざんした変造テレカが1枚数百円~千円程度で売られ、ハシシと呼ばれる大麻など薬物の密売、盗品の貴金属の転売など悪質なものもあった。 当時のイランは79年のイラン革命、翌80年から88年まで続いたイラン・イラク戦争で社会が混乱。ちまたに失