太平洋戦争中、旧日本軍が全国の焼き物生産地で作らせた陶器製手榴弾(しゅりゅうだん)の破片が埼玉県川越市の小川に大量に投棄され、野ざらしになっている。芸術品や生活に役立つ物を生み出していた窯元が、戦争に巻き込まれ、あらゆる資源が兵器生産に投入された戦時中の状況を今も伝える貴重な場所と、研究者は評価するが、保存の計画はない。一方、残された手榴弾を平和について考えてもらうきっかけにしようという取り組みも各地で始まっている。(諫山卓弥、加藤丈朗) 川越の陶器製手榴弾は、崖上から投げ捨てられたかのように数十メートルの範囲に集中する。破片を踏まずには川岸を歩けないほどだ。火薬や信管はないが、割れないで原形をとどめた物もある。 立命館大学の木立(きだち)雅朗(まさあき)教授(窯業〈ようぎょう〉考古学)によると、陶器製手榴弾の製作は1944年から始まった。市内に当時あった「浅野カーリット」の工場に全国から