ブックマーク / masapn2.hatenablog.jp (8)

  • 古桑庵 - 文学のお散歩

    自由が丘駅正面口を出て右、お洒落なショップ建ち並ぶカトレア通りを、5分ばかり進んで行くと、ふと駅前の喧騒が晴れ、静かな住宅地の趣になり、右手に落ち着いた古民家が現れます。 突然、タイムスリップしたかのような景色。とても自由が丘とは思えない異空間です。 ここは「古桑庵」という茶房ギャラリー。 小説家松岡譲(明治24.9.28~昭和44.7.22 小説家)と友人の渡辺彦が、隠居後2人が楽しむ茶室として、昭和29年に作った建物です。 かつては住居として使われていたそうですが、平成11年に人形作家の渡辺芙久子が茶房としてオーブン。現在は、彦の孫で芙久子の娘にあたる方が、引き継いで運営しています。 「古桑庵」という名は、松岡譲が命名したもの。 松岡譲は、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)、菊池寛(明治21.12.26~昭和23.3.6 小説家・劇作家)、久米正雄(明治24.11

    古桑庵 - 文学のお散歩
    mkonohazuku
    mkonohazuku 2023/03/01
    抹茶白玉ぜんざい、凄く美味しそうですね。お雛様も素敵です😊
  • 江戸坂から童橋公園~田端その2 - 文学のお散歩

    田端は坂の多い町です。 大正3年、田端に越してきたばかりの、当時まだ東京帝国大学の学生であった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が、友人の井川恭に宛てた手紙(大正3.11.30)で、 「たゞ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ それが柳町の坂位長くつて路幅があの半分位しかない だから雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ そこで雨のふるときは一寸学校が休みたくなる」 と書いて送るほど。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川が田端に引っ越してきた頃の田端駅は、けっこう長い間工事中で、現在の田端駅の場所とは違うところ(現在の田端駅より北西、京浜東北線と山手線が分岐する辺り)にあったそうなので、芥川がいっている「可成急な坂」がどこの坂なのか、今はちょっとわかりません。 ただ、この町に坂が多いのは、今も変わらず。 例えば、JR田端駅北口を出て、左手「田端文士村記念

    江戸坂から童橋公園~田端その2 - 文学のお散歩
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    mkonohazuku 2023/02/04
    田端には随分たくさんの芸術家・文士が住んでいたのですね。かぼちゃみたいな蹲、可愛いですね。
  • 夏目漱石誕生之地~夏目坂 - 文学のお散歩

    地下鉄早稲田駅(東京メトロ東西線)2番出口を出てすぐの交差点を、市谷方面に上がっていく坂道があります。 この坂道は「夏目坂」。 そう、あの文豪、夏目漱石の「夏目」です。 この「夏目坂」のふもと、地下鉄早稲田駅出てすぐの交差点の近くで、慶応3年1月5日、夏目漱石(名夏目金之助)が生まれました。 夏目漱石が生まれた所だから、目の前の坂道が「夏目坂」と命名された?と、ぱっと見思ってしまいますが、実はそうではありません。 もちろん夏目漱石にゆかりはあるのですが、命名したのは漱石の実父の夏目小兵衛直克。直克は当時名主として、牛込馬場下横町など11か所を治めるかなりの勢力者でした。「夏目坂」という名称は、直克が自らの家に続く坂道を、自らの姓で命名したもの。漱石の「硝子戸の中」(『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』大正4.1.13~2.23)の二十三には、 「父はまだ其上に自宅の前から南へ行く時に是非共登

    夏目漱石誕生之地~夏目坂 - 文学のお散歩
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    mkonohazuku 2022/12/11
    大変な人生だったのですね。 >現在は誰でもご飯が食べられます やよい軒、ちょっと気になります😊
  • カフヱーパウリスタ - 文学のお散歩

    銀座に現存する最古の喫茶店「カフヱーパウリスタ」。 明治44年に、南鍋町(現在の銀座6丁目)にオープンしました。 創業者は水野龍。ブラジル移民を仲介する、皇国殖民合資会社の社長でした。 水野は、ブラジルへの日人移送の見返り、及びブラジルコーヒーの宣伝普及のため、 サンパウロ州からコーヒー豆の無償提供を受け、大隈重信の協力もあって、パウリスタを開業。(ちなみに日初の喫茶店は、明治21年黒門町(現在の上野1~3丁目辺り)にできた「可否茶館」。また明治44年には、同じく銀座に「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」も開業しています。) 「サンパウロっ子」という意味を持つ「パウリスタ」。 「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱き」というキャッチフレーズで宣伝されたパウリスタのコーヒーは、たちまち流行の最先端に。 開業当初の店舗は、白亜3階建て南米風の洋館で、外観をイルミネーションで

    カフヱーパウリスタ - 文学のお散歩
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    mkonohazuku 2022/11/26
    1,2枚目の写真、モダンな雰囲気が素敵です。長く愛されている最古の喫茶店なのですね。行ってみたくなりました😊
  • 子規庵 - 文学のお散歩

    台東区根岸二丁目。山手線の鶯谷駅を北口から出て、五分ほど歩いたところに、正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 俳人・歌人)の居住跡である「子規庵」があります。 四国は愛媛県松山の出身である正岡子規は、明治16年に上京したあと、都内で数回転居していますが、この根岸の子規庵が終の棲家となりました。 子規といえばわずか21歳で、当時まだ不治の病であった結核にかかり喀血。病は高じて結核菌は背骨まで侵し脊椎カリエスとなり、明治32年32歳以降は、この小さな庵で寝たきりの暮らしになります。 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。」(『病床六尺』1927.7.10 岩波文庫 p7 ℓ2~3) 二間しかない小さな家。そのうちの一室、六畳の間が子規の部屋です。とても小さな空間ですが、寝返りを打つのでさえ甚だしい苦痛を覚える身であった子規にとって、この

    子規庵 - 文学のお散歩
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    mkonohazuku 2022/10/21
    水彩画も素晴らしい方だったのですね。 >戦後に再建したもの  そうなのですね。ここで沢山の作品が生み出されたのだなぁ、と見入ってしまいました。お庭がとても素敵です。
  • 『朔太郎・犀星・龍之介の友情と詩的精神』~田端文士村記念 - 文学のお散歩

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    mkonohazuku 2022/10/06
    展示内容が変わるのですね。イベントも毎月あるみたいで、ファンの方は嬉しいですね。
  • 田端文士村記念館~田端その1 - 文学のお散歩

    東京都北区、山手線の田端駅北口を出てすぐのところに、「田端文士村記念館」があります。 かつて田端に住んでいた芸術家や文学者たちの、作品や原稿、書簡などを展示し、その業績や、田端での暮らしぶりを紹介する区立の施設です。 田端は明治中頃までは閑静な農村でしたが、明治33年に画家で歌人の小杉放菴(明治14.12.29~昭和39.4.16)が移り住んだのを皮切りに、数々の芸術家・文学者が住むようになりました。 放菴のあとには、明治36年に陶芸家の板谷波山(明治5.3.3~昭和38.10.10)が、40年に彫刻家の吉田三郎(明治22.5.25~昭和37.3.16)が、42年に鋳金家で歌人の香取秀真(明治7.1.1~昭和29.1.31)が・・・と、その後も続々と数々の芸術家たちが田端に住むようになります。 なぜ芸術家たちに田端の地が選ばれたのかというと、明治22年に開校した東京美術学校(現・東京藝術大

    田端文士村記念館~田端その1 - 文学のお散歩
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    mkonohazuku 2022/09/21
    田端、芸術家達が集まった場所なのですね。知りませんでした。復元ミニチュア模型図、見に行ったら楽しそうです。
  • うさぎや - 文学のお散歩

    上野広小路にある「うさぎや」。 大正2年創業の和菓子屋さんです。 「どらやき」が有名な、現在でも行列の絶えない人気店です。 創業者は谷口喜作(明治35.6.16~昭和23.5.25)。 俳人でもあり、河東碧梧桐(明治6.2.26~昭和12.2.1 俳人)主宰の俳句雑誌『海紅』(創刊大正4.3)や、『三昧』(創刊大正14.3)などに、句やエッセイを掲載したこともある、文人趣味のある店主でした。 文化人との交流も多く、滝井考作(明治27.4.4~昭和59.11.21 小説家・俳人)の随筆集『風物誌』(砂子屋書房 昭和13.8.25)や、短編集『積雪』(改造社 昭和13.12.18)などの装丁にも関わっている人物です。 「うさぎや」を贔屓にする文士も多く、殊に永井荷風(明治12.12.3~昭和34.4.30 小説家)は「どらやき」を、 永井荷風 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小

    うさぎや - 文学のお散歩
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    mkonohazuku 2022/09/03
    うさぎやさん、有名ですよね。モ、ド、サン、サン。懇意にされていたのですね。 新ブログも更新楽しみにしています。
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