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田端文士村記念館~田端その1 - 文学のお散歩
東京都北区、山手線の田端駅北口を出てすぐのところに、「田端文士村記念館」があります。 かつて田端に... 東京都北区、山手線の田端駅北口を出てすぐのところに、「田端文士村記念館」があります。 かつて田端に住んでいた芸術家や文学者たちの、作品や原稿、書簡などを展示し、その業績や、田端での暮らしぶりを紹介する区立の施設です。 田端は明治中頃までは閑静な農村でしたが、明治33年に画家で歌人の小杉放菴(明治14.12.29~昭和39.4.16)が移り住んだのを皮切りに、数々の芸術家・文学者が住むようになりました。 放菴のあとには、明治36年に陶芸家の板谷波山(明治5.3.3~昭和38.10.10)が、40年に彫刻家の吉田三郎(明治22.5.25~昭和37.3.16)が、42年に鋳金家で歌人の香取秀真(明治7.1.1~昭和29.1.31)が・・・と、その後も続々と数々の芸術家たちが田端に住むようになります。 なぜ芸術家たちに田端の地が選ばれたのかというと、明治22年に開校した東京美術学校(現・東京藝術大
2022/09/21 リンク