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religionとtheologyに関するmkzkのブックマーク (6)

  • 聖書を読み終えた

    エルサレムのおとめたちよ 野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください 愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。 聖書(新共同訳) 大学2年生をしている。 一昨日、旧約聖書と新約聖書を読み終えた。 キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。 なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。 率直に感想を述べる。 長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。 そのうえわたしは、を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。 なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。 得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。 これから2つの掌編を引用して、それぞれコメントをつけたい。

    聖書を読み終えた
  • 隙間の神 - Wikipedia

    隙間の神(すきまのかみ、英: God of the gaps)とは、現時点で科学知識で説明できない部分、すなわち「隙間」に神が存在するとする見方である。 この言葉は一般に軽蔑的に使われ、科学でまだ十分な説明ができない現象を神の御業であると仮定する傾向を直接的に批判するものである[1][2]。「隙間の神」という言葉は、科学が自然現象を説明できる領域が増え、宗教的な説明が徐々に退却を余儀なくされている現状を表すものとしても用いられる。例えば、太陽、月、恒星、雷といった事象は元々は神が作り制御している領域に属するものとして宗教的に説明されていた。天文学、気象学、地質学、宇宙論、生物学といった領域での観測・観察によって科学的説明ができるようになると、それらの事象の超自然的説明は次第に追いやられ、知識におけるより狭い「隙間」に押し込められていった。 起源[編集] この言葉を最初に使ったのは、19世紀

  • 神智学 - Wikipedia

    概説[編集] ヘレナ・P・ブラヴァツキー 〈神智学〉は、ロシア出身のヘレナ・P・ブラヴァツキー(通称ブラヴァツキー夫人、1831年 – 1891年)に始まる思想・実践で、現代で神智学と言えば、こちらを指すことが多い[4]。アメリカ人のヘンリー・スティール・オルコット(通称オルコット大佐、1832年 - 1907年)とブラヴァツキーらが1875年に組織した神智学協会(神智協会)によって広められた。神智学協会は「真理にまさる宗教はない」をスローガンに掲げている[53]。 ブラヴァツキーによれば、〈神智学〉運動とは、太古より特定の秘儀参入者によって伝承されてきた宇宙と人間の秘密から、時代ごとにふさわしい形式で東西の宗教が発生してきたとされ、その諸宗教の対立を超えて、秘密の重要部分を公開することで、再び古代の根源的な「神的叡智」への回帰を目指そうとするものである[54]。その〈神智学〉は、「西洋伝

    神智学 - Wikipedia
  • 未だに捜索が続く聖書の伝説的な遺物 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    人々が未だに血眼になって探し求める遺物 キリスト教には聖遺物というものがあり、イエス・キリストや聖人など、奇跡を起こした人々の体の一部や、使った物が大変珍重されます。聖遺物はそれを保有する町を厄災から守り、繁栄をもたらすと信じられてきました。 聖遺物以上に人々が探し求める物が、聖書に記述される遺物。 聖書の時代から2000年近く経った現在ですら、霊験あらたかな遺物を探しもとめる人がいます。その執念には何か怨念のようなものすら感じます。 代表的な「未だに見つかっていない遺物」をピックアップします。 1. 契約の箱 十戒が納められた箱 旧約聖書「出エジプト記」には、神がモーセに「作らなければならない物」を具体的に指示するシーンがあります。純金の贖罪所と燭台、アカシヤ材の机と祭壇、やぎの毛糸とアカシヤ材でできた幕屋など。何の色の糸を使うかや、木材の長さ、使う油の種類までかなり細かい指示があり、神

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  • 原罪 - Wikipedia

    ミケランジェロの『原罪と楽園追放』 原罪(げんざい、英語: original sin[1], ラテン語: peccatum originale[2])は、キリスト教内の西方教会において最も一般的な理解では、アダムとイヴから受け継がれた罪のこと。 概要[編集] ユダヤ教では、「アダムの犯した罪が全人類に及ぶ」とする「いわゆる原罪」の概念を採る説もあるが、多数派はそのような見解を否定する[3]。 現代の西方教会においては、罪が全人類に染み渡っていて罪を不可避的にする状態の中に、全人類が誕生して来る状態を指す表現として理解される傾向がある[1]。しかし、西方教会内でも教派ごとに様々な見解がある。 また正教会では、原罪についての理解が西方教会とは異なるのに止まらず、そもそも原罪という語彙自体が避けられる場合もある[4][5]。正教会では原罪につき厳密な定義をためらい、定理とすること(教義化)を避け

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  • アガペー - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "アガペー" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2010年4月) アガペー(古代ギリシア語: ἀγάπη[注釈 1])は、キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。また、それは不変の愛なので、旧約聖書には、神の「不朽の愛」と出てくる。新約聖書では、キリストの十字架上での死において顕された愛として知られている。 またキリスト教においては、神が人間をアガペーの愛において愛するよ

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