ブックマーク / stdsts.hatenablog.com (2)

  • サイコパス、カルト2 - ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

    サイコパス、カルト2 『夜の哀しみ』三浦哲郎:抜粋 http://mn266z.blog.jp/archives/22600729.html 楽山日記(仮、倉庫) 再録+ 良心の呵責を感じない楽山が、良心の呵責を感じないサイコパスについて語っています。自分は違うと、的を逸らすための、いわゆる予防線だと思います。 過去記事に加筆して投稿します。 > *悪役とサイコパス 作の登場人物の中には、サイコ的なものが二人いる。聖次と克夫だ。聖次は自分のために人を利用し、用済みになれば捨ててかえりみず、その事に良心の呵責を感じないらしい。克夫もこれと大同小異で、人の弱みに付け込み、それを最大限に利用しようとする。人を苦しめることに楽しみを感じてさえいそうだ。 < 楽山は、サイコパスと思われるシャロームの仲間です。お仲間として、シャロームの味方をしました。シャロームは、何でもいいから打撃を与え、相手を打

    サイコパス、カルト2 - ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)
    mmayuminn
    mmayuminn 2021/01/14
  • 罪と偽善(改) - ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

    罪と偽善(改) 私たち人間は、自分がどう役に立てるのか、ある程度は明確になる場合もあるけど、道具や生産物など目に見える物のようには明確にならない場合が多いと思います。 つまり、生きることが先で、役に立つことは、継続する一生の問題になり、達成よりも、努力目標としての道ということになります。自分は役に立たない、と自分で思うことも、私も含めて、稀ではありません。 しかし、稀にあるかもしれないという希望を持つことと、稀にしかないんだと失望に変えてしまうこととは、キリストは社会が絶望の烙印を押してしまった人々を訪ねて救った、ということを考えれば、違ってきます。そして、そこから、聖書を読むということが、どういう人が神の御心に適うのかということも明らかになってくるのです。 かといって、やはり、はっきり自分の役割が見つからないときや、一生続くかもしれないマイナス面を持っていると思うときには、さらに、心無い

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    mmayuminn
    mmayuminn 2020/09/23
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