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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/hwj-takahashi (2)

  • HEROES - 高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

    1977年ごろ、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップは、ベルリンに滞在していた。その頃のベルリンは、アーティストたちにとって、20世紀初頭に起こった「ドイツ表現主義」が見直されていた時期だと聞いている。 この年の2月、3月、デヴィッドはベルリンのスタジオでイギーの「イディオット」のレコーディングに協力して、イギリス・ツアーにも同行した。 そして、4月22日、イギーのプロモーションのため、イギーとともに来日した。 彼らが滞在した2週間は、私にとっても、すばらしく楽しいものだった。 鋤田さんが、デヴィッドとイギーの撮影をすることになった。 前日、私はデヴィッドに電話をして、「明日の撮影の衣装はどうする?」と訊ねた。 「とにかく、黒の革のブルゾンを何着か集めておいて」 「それだけでいいの?」 「いいよ」とのことだった。 次の日、ホテルに迎えにいった私は、道順に関してちょっぴり、工夫した。 彼らが目

    HEROES - 高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」
    mmddkk
    mmddkk 2005/06/29
    David Bowie(デヴィッド・ボウイ)『ヒーローズ』のジャケット撮影風景。
  • ピンクフロイド (箱根アフロディーテ)  - 高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

    1971年8月に箱根、芦ノ湖で「箱根アフロディーテ」という野外コンサートがあった。 日ではじめての大型野外コンサートで、沢山のバンドが参加したが、お目当てはピンクフロイドだった。 それまで彼らの曲は繰り返し聴いていた。 こんな重厚な、すばらしいものを野外などで、再現できるのだろうか、と思ったけど、ウッドストックのニュースがあったせいだろう、何人かで出かけた。 もう記憶はきれぎれだけど、会場に向かう若者の群れの中に、独り黙々と歩く植草甚一さんの姿があった。若者にとって教祖的存在だった評論家の植草さんは相当なおじいさんに見えた。 (調べてみると、当時71歳だ。えらいなー) ラフでおしゃれなジャケットに、バックパックという姿だったように思う。 一番最後のピンクフロイドが始まる頃はもう夕方で、あたり一面に霧が立ち込めてきた。 その霧の中で、「原子心母」がはじまった。 富士山のふもとの雄大な風景を

    ピンクフロイド (箱根アフロディーテ)  - 高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」
    mmddkk
    mmddkk 2005/06/21
    Pink Floydの野外コンサート。1971年8月。「霧の中で、『原子心母』がはじまった」…
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